2008年8月 7日 (木)

Best Mother賞なるもの

どうも~。
今日で晴れて39歳になりました。
30代にぎりぎり引っ掛かっている感じ満点です。
はるか2号出産も、駆け込み30代で!



さて、先日地元の保健センターで、こんなフリーマガジンを見つけました。
その名も「Best Mother」

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なになに、「第一回ベストマザー賞 受賞者発表」ですとな?
育児歴1年半の新米はるか母さんも、誰が受賞者か、気になるところ・・・

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・・・って、黒木瞳???
あー、だから黒木瞳の表紙だったんだー。

つか、黒木瞳って、子どもいたの? (←芸能情報に全くうとい)
いやー、見事なほどに「母さん臭」というものを匂わせない人ですねえ。
さすが女優。

私としては、「え? なんで黒木瞳??」と意外度150%なのですが、
逆にその辺が、Best Mother賞受賞の理由の一つでしょうか。

あ、こういう発言は、全国の母さん臭ぷんぷんな肝っ玉母さんに失礼でしたね。
さらに、仮にも肝っ玉母さんのはしくれである私としても、自虐的な発言でしたね。

記事によれば、どうやら黒木さんは、10年ほど前に出産されたご様子。
ということは、現在お子さんは10歳くらい・・・
もう結構大きいのでは。

あいや、子どもが大きいとダメってことじゃないですけど、私としては、もうちょっと「今現在、赤ん坊の糞尿にまみれてます!」的な、割と最近母さんになりたて!という人に受賞してほしかった気がします。別に乳幼児の育児だけが育児の王道というわけではなくて、思春期の育児の方が精神的には大変だったりすることもあるのでしょうが、何となく。。。 例えば、広末涼子とか(古いか)、山口もえとか、どうでしょう。ジャガー横田だったりすると、私としては「ほっほ~~」と納得できたりして。

うーん、やっぱりなんで黒木瞳・・・



しかし、それより気になるのは、授与者がなんで 野田聖子?

よりによって、野田聖子??

なんで新大臣に野田聖子??? 

早速中国ギョーザ事件で野田聖子???

大方の人は知っていると思いますが、
野田氏は不妊治療および離婚経験をおもちで、
現在は独身(子どももいない)でいらっしゃいます。

いえ、そういう経歴だから授与者になる資格がないとか
なるべきではないとか、そういう意味ではありません。

ただパッと見、どうしても 辛い、というか、痛い感じが拭えなくて。
正直、かなりミスマッチではないかと思うわけです。
なんというか、野田氏自身の意向でこの役割を引き受けているような
感じがしない・・・と思うのは私だけでしょうか。
余計なお世話でしょうが。

それにしても、なんで野田聖子・・・?



一体この賞の主催はどこなのよ?と思ったら、

「NPO法人ひまわりの会」という団体なのでした。

そして、野田氏はこの団体の会長をつとめているのでした。

なんだ、そういうわけか・・・

って全然納得しません。

なんで野田聖子が会長??



私の認識では、このNPO法人は、下の写真のような
妊婦さんマークのシールを配っている団体、というものでした。
アグネス・チャンや、加藤登紀子が理事を務めています。

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このシールを外出時にバッグなどに貼っておけば、
地下鉄や電車で席をゆずってもらえるかも・・・というものらしいです。

妊婦さんって、「いかにも妊婦です!」ってお腹が大きくなった頃には
安定期に入っていて、そんなにつらくはない人が多いと思います。

つらいのは、妊娠初期のつわり時期で、とにかく吐きそう。
でも、初期だからお腹はほとんど目立たないので
他の人からは全く分からない。
そこがつらいところなので、このシールでそんな事態を解決!
ってのはいいアイディアですよね。

静内では全然使わなくて済みました。



さてこの団体、Best Mother賞なんてものもやっていたのですね。

黒木瞳は個人賞(芸能部門)受賞、ということで、
他にも他部門で受賞者がいるようです。
どんな方が受賞されているのでしょうか。どれどれ・・・

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写真一番上、政治部門は小渕優子さんが受賞されました。

へえー?

二番目、学術部門受賞は、坂東眞理子さん。
三番目、経済部門では、勝間和代さん。
最後四番目、文化部門では、栗原はるみさん。

えーー?
子どもがいるかどうか知らない云々を通り越して、誰それ?という人も・・・
単に私の無知のなせる技でしょうか。

他にも企業部門とかいろいろありましたが。。。



この冊子4ページ目を繰ると、「全国の妊婦さん・お母さんへ」と題して
舛添要一現厚生労働大臣のあいさつの言葉が。

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ページの下半分は、日本医師会会長からのメッセージです。

ふーん。



このNPO法人、アグネス・チャンや加藤登紀子の顔しか見えていなかったので油断していましたが、NPO法人というよりは、自民党の下部組織 と考えれば、数々の謎も解ける気が!

① なぜ黒木瞳か?
→答: 自民党のおっさんが選んだから。

② なぜ野田聖子か?
→答: 自民党の大物?女性議員で、頼まれて断れなかったから。

③ なぜ小渕優子か?
→答: 元首相令嬢にして自民党議員だから。
     どうせなら、福島瑞穂社民党代表にあげるくらいの太っ腹を見せて欲しかったものです。

・・・と、私なりに数々の謎が解決したのでした。



それはいいとして、自民党=政府が、NPO法人という柔らかい殻をかぶって、育児とか出産とかいう分野になんとなく触手を伸ばしてくるのって、私はすごく気持ちが悪いです。

前面に出てくるのは、野田聖子だったり、小渕優子だったりするわけですが、後ろにいるのは、子育てもろくにしたこともないおっさん議員のような気がします。

まあ、例えば不妊治療に対する助成とか、そういう政策的な面では、やはり時の権力につながるということは必要だと思います。けど、そういうんじゃなくて、微妙に違うんだなー。この気持ち悪さ、なかなかうまく説明できません。が・・・

時の権力が母性を謳い出したとき、過去の歴史で何が起こったか。
これから何が起こるのか、真の意図は何か、ついつい勘繰らずにはいられません。

全国の肝っ玉母さん、騙されるな!
目指せ、京塚昌子!



追記

そういえば、いくらフリーマガジンとはいえ、
こういう媒体のブログ使用における著作権とか肖像権とかって
どうなってるんでしょう。

ちょっと時間がなくて調べる暇がない&過疎ブログだから甘く見てるんですが、
どなたかご存知の方、いらっしゃいましたらご教示ください。

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2007年9月11日 (火)

「家庭だんらん法」??

今日のYahooニュースより。

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「家庭だんらん法」に言い換え指示=「残業代ゼロ法」で舛添厚労相
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070911-00000076-jij-pol

舛添要一厚生労働相は11日の閣議後記者会見で、一部事務職を割増賃金の支払い対象から外す「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション制度(WE)」について、「名前を『家庭だんらん法』にしろと言ってある」と言い換えを指示したことを明らかにした。その上で、「残業代が出なければ、早く帰る動機付けになる」と評価、働き方の改革の一環として取り組む考えを示した。(時事通信)

*******************************

なんじゃこりゃあ!

なんじゃこりゃあ!

なんじゃこりゃあ!

この天下の悪法を蘇らせるのに、
タイミングも最悪、内容も最悪、ネーミングも最悪、
ジーパン刑事もカンカンです。

しかし、法律のネーミングに「家庭だんらん」って・・・

ヌルイぞ、マスゾエ!



あまりの政治センスの欠如に
かわいくボール遊びしていた晴香嬢も…

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すっかりテンション下がってしまいました。 ↓

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あ~う、

マスゾエ

サイアクー


はるか

ダウナー






時事ネタにも敏い晴香嬢、
時の厚労相にダメ出ししてみました。

それにしても、表情が若干キケンでは?
晴香嬢、一生の不覚です。

=================

(追記)

bogusnews
家族だんらん法に感謝の声続々「去年亡くなった祖母に会えた」
http://bogusne.ws/article/54918005.html

こんな美味しいネタをbogusnewsがフォローしないはずがありません。
つか、このニュース自体がbogusnewsかと思いましたよ。

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2007年1月31日 (水)

官僚の逆襲?

1月も今日で最終日となりました。早いですね。
私も娘が生まれてから今日で8日目です。

いやーしかし
「ムスメガウマレテ」ってこのフレーズが持つ響きって、すごいですね。



さて、
私が入院している間にも、柳沢厚生大臣の不適切発言のニュースなど、
昨年からこちら、ずっと議員の不祥事が相次いでいます。
柳沢氏の発言は、特に厚生大臣としてはさすがにまずいとは言え、
それなら石原慎太郎などとっくの昔に政治生命を絶たれていてもおかしくないのでは、と思いつつ。

ここへ来て、ターゲットは自民、民主を問わない模様。
このリークのネタ元はどこなのでしょう。
…って官僚しか思いつきません。

週刊誌に、朝日美人記者と財務省エリート(だったかな)の不倫ネタが
抜かれていましたが、陰謀論大好きな私としては、
何かもっと組織的な匂いを感じます。
(面白いからそうであってほしい、というか)

とにかく、ここまでリークの嵐が吹き荒れるという事態は異常に思えます。

このリークの嵐は、当初の支持率70%超の安倍政権のみならず、
民主党までも吹き飛ばしてしまいそうな勢いです。

先日の宮城県知事選挙では、そのまんま東氏・まさかの当選!で、横山ノックの時より驚きました。絶対にそれはないだろう、と思っていたので。投票率も決して低くありませんでしたし、これはもう、保守王国・宮崎も、公明党の選挙マシンも、はたまた選挙に強い小沢神話も、なんもかもぶっ飛んで、何だかすごいことになってるなーという印象でした。

(…個人的には、万能と信じられていた創価学会マシンが今回のこの選挙では有効ではなかったということに、小気味良さと安堵を感じています。ざまあみろ、というか、日本の選挙が一宗教団体に牛耳られていることに危機感を感じていたので。。。 党員名簿を学会に渡すなどして、ルビコンを渡ったと思われた自民党も、学会マシンの有効性の限界に気づく良い機会となるのではないかと思います。)

私的には、これは、国民が政党政治自体を拒否し始めたというか、国民がプロの政治家(※アマの政治家ってのがあるのか謎ですが)を胡散臭い存在として遠ざける傾向にあるというか、そんな気がしたのですが、

昨年以来のこの議員不祥事リークの嵐も、そんな「世論」の流れに官僚が敏感に反応し始めていて、政党政治自体を否定して吹き飛ばしてしまおうと画策しているのでは…なんて思ったり。

叩いてホコリの出ない政治家など皆無でしょう。
たらいの水を流そうとして赤ん坊まで流してしまうのではないか、と心配です。

この国の官僚が本気になれば、
政治家を追い落とすことなど朝飯前でしょう。
なにせ最大の情報を握っているのは彼らですから。
必要に応じて必要な情報を! まさにオンディマンドです。

この国の官僚組織は、政治的意思を持った自律的な統治機構と言っても過言ではないでしょう。しかも、全体として決して統一的な組織ではない。各省の権限とそれをめぐる競争など、有象無象の意図が複雑に絡まり合った多頭の竜のような権力の集合体です。

大衆の反逆、エリートの反逆と来て、官僚の反逆の時代が来たか、と思ったり。

彼ら官僚は、何を目指して、どこへ進もうとしているのでしょう。
辿り着いた先は、複雑な権力争いの結果の妥協の産物で、
結局誰もが「こんなはずじゃなかった」と愕然とするような不毛の砂漠だったりして、国民を崖っぷちに取り残したまま、誰の責任かも不明なまま、日本の官僚組織だけが永遠に不滅…
という事態にならないことを祈って。

本当の震源は、アホアホ安倍政権ではなく、官僚機構にあるのではないかと思ったり。

あ、きっと安倍晋三にアホアホマンの格好をさせたら、最高に似合うと思います。世界の坂本にもすごく似合ってましたし。

昨日ボーっとテレビを見てたら、「岸首相ってまだ生きてたの!」と勘違いしそうになりました。安倍の岸顔、岸の安倍顔とかいうらしいですが、ものすごく似てますね。

…以上、左乳の授乳中に、頭を駆け巡ったよしなしごとでした。
今もお灸しながら、です。

早速親バカモード発揮で申し訳ありませんが、
今日の晴香嬢です。

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何見てんだよ。
え?

おうおう
いい度胸してんじゃねえか。

俺とやろうってのかい

…(つづく)…

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顔は撮らないで!

アタシ女優なんだから!


(※正しくは、
「顔はぶたないで!」でした)





昨夜も目をパチクリしたところを、すかさずゲット!

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目を開けると
結構大きいのだと
いうことを発見。

額のシワが
猿っぽいですね。

赤ちゃんてのは、
オヤジくさい
生き物のようです。




…でも、本当にほとんど泣かないんですよね。
おっぱい飲んで、おしっこしてウンチして、
だっこして3曲も歌ってやれば、後はひたすらぐーすか
本当に手がかからない親孝行な人です。


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すやすや。

それでは、
おやすみなさい。

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2006年12月20日 (水)

ひとり・税に関する習字展

朝方は冷えましたが、
昼になると陽が差してポカポカと暖かくなりました。
12月も20日だというのに、道路に雪一つない静内です。

100円ショップで、筆やすずりなどの習字グッズが
いろいろと売っていたので、
ひとり・税に関する習字展を開催してみました。

◆関連ブログ◆

11月16日 税を考える週間 習字展
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_827f.html

12月13日 続・税を考える週間 習字展
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_e022.html

まずは、こちら。

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「納税」というお題に対抗してみました。

次は、四文字に挑戦。

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左右2点あわせての作品です。
ちょっと文字のバランスが悪いですね。
法人税不足を個人増税で補う、という徴税のバランスは良いのですが。

まあ個人増税、といってもそれは誤解かもしれません。
今まで特別に減税されていたもの、つまり優遇されていたものを
元に戻すというだけですから(定率減税全廃)。

2005年9月21日読売新聞記事によれば、
景気回復が鮮明になっていることに加え、先の衆院選で財政健全化を主張して自民党が圧勝し、事実上の増税に踏み切る環境が整ったと判断した」とのことですし。

あ、先の選挙は郵政民営化のみを問う
完全なシングルイシュー選挙だと思っていましたが、
いつの間にか財政健全化についても
白紙委任信任を与えていたんですね。
いやー、知らなかった。

え? 実質的に増税? 
いやいや、住民税が来年はになるってことは前から決まってますし、
所得税減税も廃止になりますけど、そんな大したことありませんて。
驚くのはまだ早いと思いますし。

なんたって、肝心なところは全て…

Dsc01940

…ですから。
それまでのお楽しみ、ということで。

だってねえ、住民税とか所得税とか消費税とか、
一度にいろんなこと考えるとパニックになってしまいますから。
物事は一つずつ、できるだけシンプルに、順番に、ね。

まー「税を考える週間」なんですけど、
私たち国民は、その時その都度与えられた情報だけ
考えてればいいわけですから。

てか、与えられた情報だけで手一杯ですから。
往々にしてそれすら消化しきれてませんし。
第一税金のことなんてよく分かりませんから。ややこしくて。
依らしむべし、知らしむべからず、って昔からよく言うでしょ。
え? 立場が違う? どう違うのよ。もうやめやめ。

とにかくね、企業減税でいいの。
安倍さんがいいっつってんだから。

企業減税により企業業績が良くなれば、いずれ家計にも波及するってね。
典型的なトリクルダウン理論

え? 周回遅れ(しかも2周)のレーガノミクス? (※詳細)
まーたく素人はこれだから嫌んなっちゃうよ。
今はね、アベノミクスっていうの。
それにね、安倍さんが好きなのは、レーガンじゃなくてサッチャーなの。

あの長谷川平蔵じゃなくて、竹中平蔵だって支持してるんだから。
え? もう辞めた? 今違う人なの? 
…あーそういえばそうだよね。影が薄くて忘れてたよ。

それに、なんたって、国民の大部分はこれですから、↓

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多少税金が増えたって、気にしない、気にしない! 

なんせ手元に金が入ったときには、既にもう税金が引かれた後だってんだから、引かれたことすら分かりません。
取りっぱぐれなし!
ゆえに納税者意識も薄い、と。

これこそ日本が世界に誇る税徴収システムです。
大蔵官僚あっぱれ。
え? 今「大蔵省」ってもうないの? 何それ。



けど、「源泉徴収」じゃあ小中学生にはちょっと難しすぎるから、
来年のお題はこれでどうでしょう。↓

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いいねえ、力強くて。
これなら小学校低学年でも書けるんじゃないかな。

口座振替にも匹敵する重要キーワードだから、
皆さん、メモっとくように。



あ、あとあんまり関係ないけど、こちら

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あ、関係ある?

しかし本間さんも大変だ。

「夫婦関係は冷え切っていた」(霞ヶ関関係者)んだし、
奥さんとも離婚調停中で、真剣なお付き合いだってんだし、
本人は「個人的なことで、プライバシー侵害」って主張してるし、
何より安倍さんがいいっつってんだから、別にいいんじゃあないの?

何でも本間さん自身が不要な政府資産の売却を打ち出して
官舎売却を主張してた本人らしいんだけど、
同居人は奥さんの名前で届け出ていたのに
実際に住んでたのは北新地の愛人だったりして、
しかも本間さんは月に3回くらいしか東京に来ないから
普段は愛人一人だけで住んでた状態っぽかったりして、

しかも民間の家賃相場で50万はくだらないところが7万7千円で、
官舎だから本来は官僚しか入居できないところに
なぜか本職は阪大教授の本間さんが入居できてたりして、
素人には何がなんだか分からない話なんだけど、

どうせみんなすぐ忘れちゃうんだから、
いいんじゃないの。

今自民党内から批判が相次いでいるけど
所詮それも内紛っぽいし。

せっかく郵政造反派復党劇も無事に終わってやれやれだってのに、
安倍さんも困ってるよねホント。



ひとり・税に関する習字展
ちょっと趣旨がずれた気もしないでもないですが、
もしかして二十数年ぶりに筆を持ってみたら、
習字って意外に楽しいものでした。

皆さまの力作の投稿もお待ちしております。

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2006年12月11日 (月)

爆笑!偽安倍晋三動画

必見! ホンモノより本音を語る、
ザ・ニューズペーパーの偽安倍晋三演説がYou Tubeで見られます。

You Tube
爆笑!偽安倍晋三動画

http://www.youtube.com/watch?v=ZChBDYx-354&eurl=

↑これでダメでしたら、下記ヘンリー・オーツさんのブログからどうぞ↓。

ブログ版ヘンリー・オーツの独り言
「爆笑、偽安倍晋三動画をアップしました!」

http://henrryd6.blog24.fc2.com/blog-date-20061208.html

いやー、面白かった。

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2006年12月 5日 (火)

復党劇報道 ―「オープン」だ?―

ここ静内にも雪が降り、一面冬景色になりました。

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家の前です。









昨日までは、凍てつく風に顔が梅干しになってしまう寒さでしたが、
いったん雪が降るとふわんと暖かく感じるから不思議です。
気温はそう変わらないはずなのですが、気のせいでしょうか。



雪が降って畑も終わりなので、園芸ネタもなし。
寒くなって外出も控えめになり、郷土風景ネタも減少。

というわけで、ブログのネタ枯れをおこしておりますが、
今日は少し怒ってみたいと思います。
ネタは、自民党の復党劇とその報道についてです。



(12月04日付 自民党HPより)
■安倍晋三総裁が復党問題についてのビデオメッセージを収録
http://www.jimin.jp/jimin/daily/06_12/04/181204a.shtml

復党問題に関する安倍総裁のビデオメッセージの収録が4日、党本部総裁室で行なわれた。メッセージのなかで安倍総裁は、「国民にオープンな形で復党問題への対応をした」と強調。了承した復党議員に対し、「郵政民営化賛成や今国会の所信表明演説の内容を全面的に支持するなどの条件を確約した」としたうえで、「重要法案の審議を抱える今国会において支持拡大も重要なことであり、私の責任において11名の復党を決断した」と語っている。さらに、「改革に向け、私たちと一緒に汗を流して、活躍することを確信している」と述べ、復党議員と力を合わせて「美しい国」づくりに邁進する考えを示した。このビデオは5日午後より、党ホームページ上で見ることができる。
(※太字静内人)


(11月28日付 YOMIURI ONLINEより)
■首相、造反組の復党「過程はオープンにした」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061128ia02.htm



昨夜のテレビニュースでこのビデオ収録の様子が放映されていたのだが、その中で安倍晋三が「国民にオープンな形で」抜け抜けと語っているのを見て、

はあ? 何が「オープン」だぁ???

…とのけぞってしまった。

私は、復党劇の過程が「オープン」でなかった、として怒っているのではない。

そもそもそんなことはどうでもいいことなのである。オープンだろうが、オープンでなかろうが、そもそも「郵政選挙」という枠組み自体が茶番だったんだから、そこを基点にして正否を論ずるすること自体、私としては価値のないことなのである。「郵政選挙」の結果がどうであろうとも、である。確か昨年の選挙前には、「問われているのは郵政問題だけではない。年金問題や少子化問題など…」という視点もあったはずである。それを忘れて「昨年の選挙での国民の信頼を…」とか言ってる新聞各社の社説もなんだかな~という感じである。今ごろほくほく顔で郵政民営化を喜んでいるのは、圧力をかけた日米の保険・金融業界と、アメリカからキックバックを貰ってウホウホのラブミーテンダーなレイプ疑惑政治家ぐらいだろう。

当時も、刺客騒動と小泉絶叫演説の垂れ流し報道によって、多岐にわたったはずの争点は、「郵政民営化」だけに一本化・単純化されてしまった。というか、マスコミも国民も、単純化を目論んだ自民党の思惑にまんまとはめられた結果、あのような小泉自民党の圧勝が実現してしまった、と私は思っている。民意もクソもない。あったのは、悪しきポピュリズムであった。

まあ、それは過ぎたことだから仕方のないことだとしても。



またかい!!!という感じなのである。

ここしばらくの間、テレビも新聞も、自民党復党劇の垂れ流し報道で満ちていて、もういい加減うんざりなのである。これじゃあ「郵政選挙」の時と同じじゃあないか! 毎日毎日あらゆる番組で、亀の歩みほどの進展しかない状況を大仰に扱っては同じ映像とインタビューを繰り返し流し、さもさも重要な問題だとばかりに騒ぎ立てる。中川(女)と中川(酒)が火花を散らし、「政治家には情も必要」などと、国民に厳しく身内に優しい本音も飛び出す始末。

「みそぎ」は自民党の得意技だし(最近ちょっと早すぎるけど)、政治家である以上選挙対策なのは見え見えで、何だかんだ言ってもいずれは戻るんだから、しょうもない夫婦喧嘩みたいなくだらないやり取りに、無駄な時間と紙面を割くのはいい加減にしてもらいたい。



そこへ来て、安倍の「オープン」発言。
と来たもんだこりゃ。

垂れ流し報道と、「オープン」発言。
どうですか、これ。

じゃあ何かい? この垂れ流し報道は、安倍自民党も十分予測の上の、あいや、安倍自民党の仕掛けによるものだってぇのかい? 毎日似たような情報をだらだらと流しとけば、半数以上が安倍支持というマヌケな国民なら、軽く騙せるとでも思ってたのかい? え? いや実際騙せちゃんだろうけどさ。

なんか、安倍自民党が報道各社に圧力をかけて…というよりは、安倍自民党も報道各社も、お互い日本的な<察し合い>の馴れ合い報道に甘んじていて、それがエスカレートしてるんじゃないか。安倍自民党も報道してほしいと思ってるし、報道各社もそんな安倍自民党の心を察して、国民も見たいだろうと大きなお世話の勘違いをしてしつこく報道してしまう。そういう報道側と安倍自民党の癒着というか、蜜月という図式になってるんじゃないか。

も~~~~、
垂れ流してるのは報道各社の意思なのか、それとも安倍自民党の意思なのか、はたまた「国民が見たがっているに違いない」として<国民の欲望>を先取りしてるつもりの報道各社の勘違いのせいなのか、どれなのか分からんけども、というか、どれもが入り混じってるけど後で責任が問われる局面になったら「自分じゃない」とみんなが言うに違いないんだけれども、ほんとにどうにかならんのかね、この貧しい報道の状況は!!! 

だらだら見せときゃ「オープン」だと思ってる低能も腹立つが、本当にそれをだらだらと報道してしまう報道各社の追随ぶりってどうなのよ。そいでそれを毎日見せられて本当にそれで納得してしまうか、はたまた怒ってもすぐに忘れてしまう人って何なのか。なんて政権に都合のイイ人ばかりの美しい国なのかしら。



結局、現段階で復党したのは11人なんだけど、やっぱり何と言っても面白いのは岐阜1区をめぐる野田聖子と佐藤ゆかりの「火花を散らす女の確執劇」らしくて、この報道もしつこい。さらに、野田聖子の離婚話もおまけで付いてきたりして、ワイドショー的には願ってもない図式になっている。やっぱビジュアル的には、オヤジ同士が汚く静かに火花を散らすのよりも、妙齢の女同士がバチバチやってる!っていう図式の方がいいもんな。佐藤ゆかりも、「わたくしは、この岐阜に嫁ぐつもりでやって参りました」とかいって、果たして嫁になれるのか。心配である。

つか、そのあたり予め党で抑えとけよ、と思うんだけど、この放置ってもしかして意図的?と思わないでもない。ビジュアル的に面白いからマスコミの話題を引き付けておけるってんで、党でもわざと放置してるような気がする。あと、去年「女のくせにオレ様を怒鳴りやがって」、と頭に来てる安倍晋三の佐藤ゆかりイジメってことで。



それに、片山さつきと佐藤ゆかりが裁決無断欠席で処分されるなんていうオマケのオマケまで付いてきた。けどなー、裁決欠席ってそう珍しいこととも思えないんだけど、そんなに連日大扱いしてわざわざ処分まですべきことなのか? それに、なんだって上手い具合にこの<生意気な女コンビ>なわけ? ハメられたんじゃないのか?と思うのは穿った見方過ぎるかもしらんけど、自民党内での「この小うるさい女どもをちょっと叩いとけ」という意図を感じないでもない今日この頃。



ってアタシも見てるなあ。

テレビを消せばいいんだけど、夫が天気予報・命!なので、NHKでも民放でも、つけとくとその前後に嫌でも目に入ってしまうんですよね。テレビ付けとくと怒ってばっかで体に悪いです。

つか、自民党復党劇に関しては本当にあらゆる局面がどうでもいいことなんだけど、真に心配すべきは、こうやって安倍自民党が従来のアメーバぶりを発揮してジワジワと勢力を拡げる一方で、国民のオルタナティブとなりうる野党が民主党しか存在しないことだ。自民党を境にして右と左の勢力を併せ持つ、なんていう党員構成の政党なんて、前代未聞じゃなかろうか。右からの期待と左からの期待とを一身に背負う政党しか、実質的なオルタナティブがない、ということが、日本国民が真に憂うべき問題のように思う。

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2006年11月30日 (木)

国旗国歌 東京地裁判決⑤

先ほど窓外に一瞬白いものがちらほらと舞いまして、
庭先が少しだけ冬景色になりました。

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歩道の水たまりもカチンカチンに凍ってました。

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わー、うれしー、めずらしー
…と思うのも最初だけです。
寒いの苦手ですから。

もう11月最終日ですもんね。
てことは明日から12月。
寒いはずだよおっ母さん。
年賀状も作らないとね。



というわけで、国旗国歌シリーズも早く終わらせなければと思いまして、
連載5回目です。

教育基本法改訂案も今国会を通りそうな勢いになってきました。

教育現場が荒廃しているとすれば、それは教育基本法のせいなのではなくて、むしろ教育基本法の理念が蔑ろにされてきたことの方が大きいのではないかと個人的には思っています。まして日教組のせいなどではなくて。単純にそう思えたら楽でしょうから、ある意味そのように主張する人たちが羨ましいです。

家庭や社会における教育力が弱っていることは確かでしょう。

しかし、それを補うべきは国家権力や行政などではなくて、本来「市民」(←今のところ何と言っていいか分かりませんのでひとまずこれで我慢)であるべきではないかと。そんな勢力どこにある?って感じで、私もその存在については悲観的にならざるを得ませんが、民が弱っていることにつけこんで国家権力がパターナリスティックに介入してくるのは本当に嫌です。まるで「公」の役割は国家が独占するんだ!と言わんばかりに。おこがましい。

体力の弱った体にインフルエンザ・ウィルスが入り込むように、
自治の力が弱まった市民社会に国家主義が入り込んでくるのではないかと。

北朝鮮、テロ、凶悪犯罪、自殺、いじめ、地震、洪水、狂牛病(古い)などなど、私たちの暮らしはあらゆる脅威にさらされている!と日々マスコミに脅かされ続けていますから、多少の自由は放棄しても、国家による安全がほしい!と思う人が多いのも頷けます。かくして安全栄えて自由滅ぶ。というわけで。

というより、まともに子育てもしたことがなさそうな下品な顔つきのオヤジ連が、したり顔で「教育現場の荒廃」だとか「倫理」だとか「志」だとかについて語り、あげくに法律の「ほ」の字も知らないし基本法の意義すら理解不能なくせに、戦後の英知を結集させた格調高い条文を、足りない禿頭と金に汚い手でいじくり回すのには本当に腹が立ちます。男は特に40代からその生き様が顔に滲み出るというのが私の信条ですので、テレビをつけておくと、片山虎之助や中川(女)、もちろん中川(酒)もですが、その下品な顔ぶれに「お前に言われたかないわー!」を連発せずにはいられません。

あ、そろそろ本題に行かないと。

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■参照

国旗国歌 東京地裁判決①
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_13fb.html

国旗国歌 東京地裁判決②
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_3577.html

国旗国歌 東京地裁判決③
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_4744.html

国旗国歌 東京地裁判決④
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_3c6b.html


<目次>
① 「仕事」なのか?
② 「わがまま」なのか?
③ 「何でも拒否できる」のか?
④ 「規律が取れない」のか?
⑤ 「国旗国歌は日本人の常識だから従うのは当たり前」なのか?
⑥ 最後に


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⑤ 「国旗国歌は日本人の常識だから従うのは当たり前」なのか?


●知識として知ってるだけじゃダメ?

「国旗国歌は日本人の常識だから従うのは当たり前」というのは、そんなに自明の命題なのでしょうか。私はそうは思いません。

私も、日の丸が日本の国旗であり、君が代が日本の国歌であることは知っています。別に誰に習ったわけではありませんが、わざわざ学校で教わらずとも普通の人なら誰でも知っていることではないでしょうか。そのことを客観的知識として知っている、というだけではダメなのでしょうか。少なくとも私のこれまでの経験では、それで足りました。別に困ったこともありません。

ただ、知識として知っているということと、国旗国歌を敬う態度を強制されるということとは別のことです。この2つがなぜか直結してしまう人もいるかもしれませんが、そんなに頭の悪い人はいないと信じたい今日この頃です。

「そんなの適当に歌っとけばいいじゃん」という気持ちも分かりますが、何を信じて何に敬意を払うのかは、国家が決めることではなくて、私自身が決めることです。他の誰にも強制されるいわれはありません。

「内心」と「態度」は別、すなわち評価するのは「内心」ではなくて「態度」であるからして、「態度」の強制は問題ない、とする人もありますが、それこそが強制なのであって、この言い分は端的にナンセンスであり詭弁です。これは、愛国心の評価問題にも共通します。


●「日本人」って誰?

そもそも「日本人」って誰なんでしょう。誰のことを指して「日本人」って言ってるのでしょう。まあその人は自分が日本人ってことには自信があるんでしょうけど。 

この手の議論を見るとき、私は真っ先にこれを思います。「日本人なら~」とか言う人結構多いんですけど、そもそも「日本人」って、そんなに自明の概念なの?

それって、日本国籍を持ってる人のこと? それとも、日本語を話す人? 父母が日本国籍の人? 人種的に外見が大和民族のこと? (←もうこの辺は意味不明) それとも仏教徒の人?(違)

ブラジル在住の日系三世は「日本人」でしょうか。在日韓国人の二世三世で日本国籍を持つ人は、「日本人」でしょうか。アイヌの人は? 小錦とか三都寿は? 父母も日本国籍で髪も目も黒くて自分も日本国籍を持ってるけど英語しか話せない人っていうのは? 

…事ほど左様に、人種、民族、国籍、言語、宗教などなど、「日本人」という概念はそれほど自明のものではありません。というか、アメリカやイギリスは言うに及ばず、中東や東欧諸国、台湾などアジア諸国でも、要するに日本以外の国では、人種・言語・宗教・国籍など様々な要素が混じり合って、「○○人」という概念が自明ではないのが常識です。唯一客観的に判断できるのは、国籍という要素のみでしょうか。

それとも、そういう問題じゃなくて、もっと内心に関わることなんでしょうか。「自分で自分を日本人だと思っている人」とか。武士道を理解する人とか? あいや、国旗国歌を尊重する人? 日本に忠誠を誓う人? 日本のために命を捨てられる人? 

それとも、私らが金髪・白人・英語ネイティブな人を「(コアな)アメリカ人」として認識しているように、「コアな日本人」を指しているのか?…(笑)それ自体定義しにくいですね。自分で振り出しに戻してしまって反省。

思うに、こういう文脈で「日本人なら~」とか言う人って、「日本人」という言葉に、無意識のうちに何やら日本民族という集団的幻想というか、一種のロマンスを込めてるんじゃないかと思うんですよね。中曽根氏ではありませんが、単一民族幻想とでも言いましょうか。純潔というか、我々意識というか。もろい。

私は、便宜上、日本人という言葉を、日本国籍を持つ人、と定義して、それ以上でもそれ以下でもないと思っています。「日本人」という言葉に、それ以上に何らかの意味や幻想、ロマンスを込めて使うことは避けたいです。同時に、何の迷いもてらいもなく「日本人」という言葉を使えてる人は、まずもって胡散臭いと思うことにしています。

実は、正直言って、そういう風に単純に「日本人なら」とか言える人、羨ましいです。簡単に集団に帰属する昂揚感を味わえてる気がして。どうしてそんなに簡単に単純に「我々意識」を持てるのかなあ。

まあ我々意識というのは一応私にもありますし、日本民族という大きな帰属体に所属している自分が好き!みたいな感じで我々意識を持ちたいという気持ちも分かります。けど、「日本人」という概念は、その人が思うほど自明なものではない。むしろ周縁が曖昧で豊かに広がる多様性に満ちた概念です。その概念を、あたかも明確に定義されたもので他と区別可能な自明なものとして、政治的統一のための強制の道具に使うというのは強引ではないでしょうか。少なくとも私はそういう物言いには全然説得されません。


●そもそも学校って「日本人」だけで構成されてると思ってるの?=多様性

もう一つ不思議に思うのは、学校という場所に「日本人」しかいないと思っているのだろうか、ということです。中国や韓国、いろんな国の国籍を持つ人がいても不思議ではありません。それとも、「日本の学校なんだから、別にどこの国籍の子どもがいようと、日の丸・君が代は日本流の教育を施すってことでいいんです!」ということなのだろうか。

例えばオーストリアだとかイスラエルだとか、日本に侵略された歴史のない国の人はもしかして大きな問題ではないのかもしれません。私が注意したいと思うのは、中国や韓国、台湾など、過去に日本に侵略された歴史を持つ国の子どもたちです。

(それらの国々では学校や家庭で「反日的な教育」がされているので、それ自体が問題、だとか、「そんな反日的な人間は母国へ帰れ」とかいう話はひとまず置いておいて。)

そうした子ども達が、もしかして親や親戚などから昔の怖い話を聞いていたとしても、現実には彼/彼女たちは日本で生活していて、日本で友達もできたりして、そうそうあからさまに「反日的」という訳ではないでしょう。でも、だからといってそうそう「親日的」であるとも期待してはいけないのではないか、とも思います。また、日本に住んでいるのだから「親日的」であるべき、とするのも東京都知事じゃあるまいし、また傲慢でしょう。

学校という場所は、多様な人たちで形成されています。「そのいちいちに気を使っていたら教育なんて成り立たない!」という主張も一理ありますが、事柄によってはセンシティブになる必要があるものが明確にある、と私は思います。国旗国歌はその一つだと思います。理由は、前回で述べた通り、政治的・歴史的なものです。

親類縁者に日中戦争で日本兵に殺された人がいるという外国籍の子どもが学校にいる場合、いやその可能性はどこでも十分にあるわけですが、侵略した側としては、その象徴であった国旗と国歌を教育の場で扱うことには慎重であるべきではないか、と思います。殺し・殺されたのは戦争だからお互い様、なのではなくて、そこにはやはり<自国を出てわざわざ他国へ出かけて行って戦争をした側>の遠慮があるべきではないかと思います。

いや、そもそも仮に学校という場が「日本人」だけで構成されていたとしても、私は国旗国歌を一律強制することには反対なのでした。

例えば数学という教科について、「嫌いな子もいるのだから、皆一律に教えるべきでない」とするのは誰が見てもナンセンスでしょう。しかし、「学校で仏教や神道の教えを学ぶ時間を設ける」というのは、ちょっと待てよ、と思うのではないでしょうか。それはなぜか。前者のように教科の問題は、嫌いな子がいても教えるべきという国民的合意があると考えていいでしょうが、後者のように宗教的教義を学校で教えることについては、日本では国民的合意ができていないからではないでしょうか。

国旗国歌は、前者の教科と同レベルの問題ではありません。どちらかと言えば、後者の宗教に準じて考えるべき問題だと思います。過去に、国家主義が神道という宗教と結びついて国家神道として子ども達に教えられた歴史があったということも理由の一つですが、単にそれだけではありません。

端的に、「公」の役割を、まるで国家だけが独占していて、その精神を学校教育によって一律子ども達に注入しようという試みが傲慢でパターナリスティックであり、不当な介入だと思うのです。

日の丸が日本の国旗であり、君が代が日本の国歌である、ということを客観的な事実として扱うことには問題はないと思いますが、一律にそれらを敬う態度を強制するのはやはり問題ではないかと思います。

とにかく、教師の中にもいろいろな思想・信条の持ち主がいるのと同様に、生徒たちの中にもいろいろな思想・信条の持ち主がいるでしょう。また、在日韓国人や中国残留孤児の師弟たち、その他外国籍の生徒等々、人種も国籍も様々でしょう。教師以上に、日の丸・君が代に対して複雑な思いを持つ生徒もいるのではないでしょうか。もちろん「郷に入れば郷に従え」として積極的に受け入れようとする外国籍の生徒もいるでしょう。しかし、その心中を思うと何かやるせないものを感じます。



ああ、明らかに推敲不十分での掲載をお許しください。
文章にまとまりがないのは、思考がバラバラなのが原因です。
いろいろなご指摘もお待ちしております。

もう一回分あるかもしれません。それまで不定期に続く…



(参照)

国歌斉唱義務不存在確認等請求事件 判決要旨
http://www.news-pj.net/news/20060921.html

国旗掲揚、国歌斉唱に関する諸外国の判例・事例
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html

諸外国における国旗、国歌の取扱い
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm

国旗及び国歌に関する関係資料など(文科省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906b.htm

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2006年11月 9日 (木)

国旗国歌 東京地裁判決④

早いもので、11月も二週目に入りましたが、
皆さまいかがお過ごしでしょうか。

あら、このシリーズまだ終わってなかったの? 
そうなんです。地味に未完でした。
本判決が出てから早二ヶ月弱。
超遅筆で大変申し訳ありません。

実は10/17に④回目の原稿を一度書いたのですが、サーバの都合で全部消えてしまいまして、しかもバックアップも取っていなかったものですから、ムンクの叫び並みに脱力していた次第です。2週間前に栓を抜いたサイダーみたいな文章になってしまう恐れ大ですので、どうぞ読み飛ばしてください。

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■参照

国旗国歌 東京地裁判決①
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_13fb.html

国旗国歌 東京地裁判決②
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_3577.html

国旗国歌 東京地裁判決③
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_4744.html


<目次>
① 「仕事」なのか?
② 「わがまま」なのか?
③ 「何でも拒否できる」のか?
④ 「規律が取れない」のか?
⑤ 「国旗国歌は日本人の常識だから従うのは当たり前」なのか?
⑥ 最後に


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④ 「規律が取れない」のか?

この言については、二つの側面があります。一つは、教育委員会に対して。そしてもう一つは生徒に対しての側面です。

教育委員会側に対しては、「義務か否か」という点で反論できると思います。すなわち、義務があれば規律が取れないという議論もあり得ますが、義務がなければ、そもそも規律云々以前の問題ですから、その問いかけ自体が成り立たないことになります。まして、規律が取れないから従え、というのは本末転倒です。



もう一つの対生徒への側面、もう少し言えば、生徒たちへの体面としての問題については、違う視点からの議論が必要でしょう。

というのも、生徒から見ると、先生方がバラバラで揃っていないのがさぼっているように見える。また、生徒が主役の記念すべき卒業式などの式典で、生徒そっちのけで国旗の上げ下げで争ったり、君が代のテープを奪い合ったりと、生徒の手本になるはずの校長と教師が、逆に生徒に悪影響を与えてしまう、というものです。「大人が規律に従わないんだから、自分達も従わなくていいんだ」と規律遵守の態度の崩壊を招いてしまう、と。

だから、「従え」というものです。

確かにぼや~っと聞いているとその説にも一理あるような気もしますが、その説はやっぱり変です。なぜなら、やっぱり根底に「国旗国歌尊重は義務」という考えがあるからです。あ、これもやっぱり同じ議論なのか…。

結論から言えば、人間の尊厳を抑圧してまで、生徒に規律の取れている様を見せる必要はない、と思います。

ただ、その理由や経緯を事前に生徒に対して説明する必要があるでしょう。この説明責任こそが、教師に必要な<本質的義務>と言ってもいいかもしれません。この説明がなされない場合や、教師がその理由や経緯を筋道立てて分かり易く生徒に説明できない場合は、国旗国歌への反対はなすべきではない、とすら思います。まず何よりも、生徒への説明責任が第一に果たされなければならない。これが国旗国歌反対の意思表明の前提となるべきだと思います。



国旗国歌は、一般の挨拶や礼儀上のマナーとは違った別なものとして考えるべきだと私は思います。国旗国歌は特別なものであると。「そうでない」という人もいるでしょうが、この点については争いがある、ということ自体は事実でしょう。ここで「日本人として国旗国歌を受け入れないこと自体がおかしい」とトホホな主張をされても困ってしまいますので、それについては⑤で詳しく。



国旗国歌がなぜ特別なものであるか。

まず第一に、国旗国歌は、戦時中、国外のみならず、国内の日本国民にとっても、弾圧の象徴であったことです。治安維持法、国民総動員法などによって、知識人から一般人まで、国民(というか「臣民」)は自由に意見表明する機会を奪われ、特高に捉えられて拷問され、または日々の食生活にも窮乏し、鍋釜まで供出し、若者は出征するなどして、天皇と国家の名の下に、あらゆる人的・物的資源を搾取されました(本当は、国民全体を一括して一方的な被害者として捉えることには、私は反対なのですが、ここではそれは置いといて)。

今でも国旗国歌を、当時の天皇制や国家主義の悪しき象徴として記憶する人は存在するでしょう。これは、そうした人たちが一人残らず死んで、その層がそっくり日本からいなくなれば済むという問題ではありません。

「国旗国歌と戦時中を結びつけることには無理があるし、大体今の世の中で、国旗国歌が戦争に帰着すると考える方が飛躍しすぎでおかしい」、という意見があります。確かに「自分」はそうなのでしょうが、そうは思わない「他者」も確かに存在する、という事実があります。自分の考えと違う他者がいる。そして、自分の物言いでは他者は説得できない。この事実はどう考えるのでしょうか。違う人間がいること自体が理解できない。しかも、違う人間を強制力をもって同化させるという考えは、思考の貧しさ以外の何者でもないと思います。



第二に、教師に特殊な理由があります。すなわち、戦時中の教師には、学校で生徒に国家主義を教えるなどして、結果的に教え子を戦場に送る側に加担してしまった、という苦い歴史があります。ですから、彼らはそこから「二度と教え子を戦場へ送らない」という教訓を得ています。ゆえに、教師らには、戦中のように教育現場に国家権力を介入させない、という強い意思があります。特に、教育現場への国旗国歌導入には、他の職業層より一層敏感にならざるを得ない。教組や教員による国家権力介入阻止の動きには、一般的に行き過ぎな面もあるかもしれませんが、こと国旗国歌に関しては、そのような事情から「それだけは死守する」という強い意思があることは確かでしょう。



第三として、これは第一、第二の理由以上に根本的なものですが、戦時中の特定の事柄に限らず、一般的に、国旗国歌のような国家を象徴するモノを通じて、国家の意思に沿うような何らかの態度や行為、内心などが強制されるということ自体が憲法違反なのではないか、ということです。国家権力が発動される時、最も心情的に動員されるのが、国家の象徴たる国旗国歌でしょう。日本の第二次大戦中の出来事は、そうしたことのほんの一例に過ぎません。

根本的な問題は、個人の自由に対する国家権力の介入にあります。ここでは「個人の義務」など登場する余地はありません。「自由や権利は、義務と表裏一体」とかいう眠たい物言いをする人は、まず憲法や政治学の基本書を読んで顔を洗ってから出直してください。



国旗国歌の強制導入に賛成する人たちの物言いに私が違和感を感じるのは、彼/彼女らの主張の前提として、国家と個人との未分離があるからです。そうすると、なんとなく国家あっての個人という帰結になる。だって、国家がないと、個人も守ってもらえないよ、と。それって国家主権です。

そうするとやっぱ憲法を変えないとならない、という話になる。だって今の憲法じゃ全然不便ですもん。これじゃあ縛りがきつくて国家は何にも出来ないんだから。…え? 憲法ってそれが目的なの? 国家を縛る? 何それ。団鬼六じゃあるまいし、全然理解できない。国家って、もっと自由にいろいろ出来なきゃダメじゃないの?

…と法学部を出たにもかかわらず、国家の基本に関して何も学習していない「頭悪そう」な安倍晋三が思うのはある意味当然ですが、同じ発想を、一般の人が共有しているというのは、何か悪い夢を見ているとしか思えません。だって、自分で自分の自由と権利を放棄する方向に積極的に賛成しているんですから。タコが自分の足を食ってるのと同じです。

なんで自分も権力者と同化してるんだか。全然分からん。「受身ではなく、自分も為政者の立場であらゆる問題を考えてみる」なんていうつもりなのかしらん。浅知恵も甚だしい。とりあえず憲法99条を読んでくれ、としか言えません↓。

第九十九条【憲法尊重擁護の義務】
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。




個人の自由や権利生まれながらにして個人が持つものであり、国家に恩恵的に賦与されるものでも何でもありません。ですから、これらの自由や権利や、国家に優先するものです。この原理が成立するまでに多くの犠牲が払われ、多くの血が流れました。

憲法というものは、まず第一義的に、国民の権利を保障するためのものです(基本的人権の尊重)。すなわち、国家が容易に国民の権利を侵害しないようにするために、国家に様々な縛りを化したものです(三権分立など)。言い換えれば、憲法とは、国家という暴れ馬に噛ませる轡と言ってもいいでしょう。ですから、憲法には、基本的に「国家がしていいこと」が書いてあります。裏返せば、原則として憲法に書いていること以外はしたらダメ、ということです。

個人の権利を最も侵しやすい主体が国家であることは、歴史的な事実です。ゆえに、最も個人の権利を侵しそうな主体に対して、憲法遵守義務を課した。これが99条の意義です。憲法を守るべき主体、すなわち憲法の名宛人は、国民ではなくて、国家なのです。

ここにおいて、個人は国家と対峙します。個人は国家のために存在するのではなく、国家が個人のために存在するのです。国家の前提として、国民、個人の存在がある。すなわち、国民主権です。

国家とは、国民が安全に暮らすために必要な政治的・社会的装置であり、決して国民の「上司」的存在ではありません。その関係は、委託とか代理に近いでしょう。つまり、国民の権利を国家が代行しているに過ぎない。

「対峙」の意味を、「対決」とか「反対」とか、はたまた「喧嘩」とかに解する人は、再度基本書を読んで歯を磨いてから出直してください。つか、日本語を学習してください。



これって、別に左翼だからとかでなくて、近代以降の基本中の基本であり、常識だと思います。安倍晋三ですら一度は必ず習ってるはずです。あいや、南カリフォルニア大にまでわざわざ行ってるんだから、少なくとも最低二度は聞いてるはずだよおっ母さん。

肝心のこの部分をすっ飛ばしてるから、「憲法には国民の権利しか書いてなくて、義務がない」とか眠たい議論になってしまうわけです。だから逆に「憲法改正」(→改悪の間違いです)なんてことが言えるのでしょうが、なんでそんなトホホな人が国会議員に当選して税金から高い給料をもらってるのか、ほんと情けない限りです。一冊でいいから、憲法の本を読んでから議論してほしい。バカすぎるもん、ほんと。



ちょっと話がそれてしまいましたが、このように、国旗国歌は、国家主義の表れとして、挨拶や礼儀などの一般的な規律とは違った、特別なものと考えるべきだと私は思います。このような事情を抑圧し取り繕ってまで、生徒に規律の取れている様を見せる必要はない、と考えます。

その理由や経緯を生徒に説明することは、確かに胡乱で回りくどい行為でしょうから、教育に効率性を重んじる人にとっては単なるムダでしかないかもしれません。しかし、これは却って、基本的人権や人間の尊厳の意義を生徒に考えてもらう良い機会かもしれません。問題が身近で具体的なものですから、自分に引き付けて考えることができますし、ここで鍛えた思考力は必ずや将来役に立つことでしょう。子どもは大人が思うほどバカではありません。「子どもには分からない」と思う大人の方がバカだと思います(バカな大人に育てられると、子どももバカになります)。



ただし、教員は、その理由と経緯を説明する際に、自分が反対するからと言って、生徒にも「国旗国歌に反対すべき」と指導すべきでは断じてありません。これは、裏返せば「歌うべき」と指導するのと同じことです。教員が反対することと、生徒が反対することは、別のこととして考えるべきです。

説明の際には、あくまで「自分はかくかくしかじかの理由で反対する」という意思説明にとどまるべきであり、生徒に対しても自分と同じく反対の態度を取るようにと同調を強制するものではないことが絶対に必要です。まず一人一人が自分の頭で考えること。そのプロセスを大事にすることを説くべきでしょう。

「歌うべきか、歌わないべきか、明確な指導でないと生徒が迷う」とする意見もあるでしょうが、この問題については単に「明確であればいい」というものではありません。一般の学校教務などにおいては、明確な指導が求められるでしょうが、国旗国歌の問題は、前述の通り、特別なものです。このように民主主義的プロセスが重要視される特別な事柄において、単純に効率性を求めることは、単なる面倒の回避であり、もっと言えば教育の放棄と言ってもいいでしょう。



そもそも、式典で規律が取れている状態を目指すこと自体が目的なのだとしたら、校旗校歌という代替手段があります。現にこれまではそれでつつがなく式典を運営してきました。

逆に、2003年以降、国旗国歌を強制的に導入することで教育現場に混乱を招いたのは、都教委側です。教職員側ではない。都教委側の主張は、責任の転嫁です。また、この強制は、教育基本法10条の「不当な支配」にあたると考えます。



大体、式典時に国旗国歌が当然あるもの、という前提自体、いかがなものでしょうか。諸外国の例を見ると、国によって扱いは様々です。中国や韓国、アメリカでは国旗掲揚が義務化されているようですが、英国やドイツでは「入学や卒業の機会にも掲揚されない」そうですし、カナダでは「各州政府及び教育委員会の判断による」とのことです。全然「当然」ではない。

(参照)
諸外国における国旗、国歌の取扱い(文科省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm



さすがの私も、「…職務として学校行事に出席する教職員は、国旗掲揚などが学校方針として決定された場合には、方針に従って式を挙行すべき職務上の義務があり、思想・良心の自由に対する内在的制約として受忍すべきものと解される」(※10月23日道人事委裁決理由要旨(10月24日北海道新聞掲載)より抜粋)とすることには、賛成です。

ただし、これには当然と言えば当然の前提があると思います。つまり、教職員は校長と並んで現場の裁量権を持つ当事者ですから、学校方針が決定されるプロセスに参加している、という前提です。当事者として参加して決定された内容に、自らも従うのは当然ですから、この場合には「職務上の義務」が発生すると考えていいでしょう。

しかし、当事者である教職員が意思決定のプロセスから排除された状態で決まった内容に、教職員を従わせ、義務を課す、ということは、明らかに不当でしょう。

もし仮にそうした導入を認める場合であっても、その場合には、最低でも歌わない自由を認めるということでないとバランスが取れないと思います。歌わない自由すら認めない、というのではあまりに狭量です。

ここで再度「規律が取れないから」とトホホな根拠を出されても困ります。こういうことを言う人は、これがバカの壁か、と思われても仕方ないでしょう。




(参照)

国歌斉唱義務不存在確認等請求事件 判決要旨
http://www.news-pj.net/news/20060921.html

国旗掲揚、国歌斉唱に関する諸外国の判例・事例
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html

諸外国における国旗、国歌の取扱い
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm

国旗及び国歌に関する関係資料など(文科省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906b.htm



ようやっと半分まで来て少し折り返した感じがしますが、
まだ終わらないのでした。道は長い。
またしても不定期に続く… 乞うご期待!(涙)

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2006年10月30日 (月)

国旗国歌 10/23道人事委裁決

国旗国歌強制に関する東京地裁判決が出てから軽く一ヶ月以上が経ってしまいました。超遅筆で大変申し訳ありません。そうこうする間に、先日10月23日、北海道人事委員会は、君が代妨害処分取り消しの裁決を出しました。

(参照記事)
北海道新聞 2006年10月24日掲載
君が代妨害 教諭処分取り消し 道人事委「裁量権の逸脱」
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20061023&j=0022&k=200610230959

私の手元にある別の北海道新聞の記事(2006年10月24日)によれば、焦点となったのは、以下の2点です:

①国旗国歌指導を定めた学習指導要領の法的拘束力
②式典運営をめぐる校長、教職員の総意形成


①については、
大綱的な基準とはいいがたく、その法的拘束力は否定せざるを得ない

②については、
式典運用などをめぐり、あらゆる努力をしても全教員の総意形成が不可能な時は学校長が決定を下しうるが、その場合も周知、指示などの手続きが必要だと指摘。今回は当該の教諭を含む卒業式参加者に対し、事前に君が代斉唱があることは知らされておらず、校長に手続き上の重大な瑕疵(かし)があったと認定した。



要するに、「職務命令よりも合意形成への努力の必要性を強調しており、教育現場のあるべき姿を示した判断」(姉崎洋一・北海道大学教授のコメントより)ということのようです。

強制よりも、民主的プロセス重視、ということでしょうか。本件は、長年君が代演奏が行われず、意見対立があり、当日の式次第にも「国家斉唱」の表記は無く、教職員や参加者に事前の告知もなかったにもかかわらず、校長が当日の実施を強行したのに対して、一教職員が演奏テープを止めて持ち去ったという事件でした。



…なんというか、そこまでしなきゃならなかった校長にもちょっと同情します。誰にも言ってないし、式次第にも載せてないのに、当日こっそりと君が代のテープを仕込んで、隙を見てスイッチオン!…って自分でやったかどうかは分かりませんが、そのとき彼の脇の下は、さぞかしじっとりと濡れていたに違いありません。

部下からは反対され、道教委からは強制され、もうこうなったら一か八か破れかぶれだ!と強行してはみたものの、乗り込んできた職員にあっさりテープを奪われ、君が代は中止。「君ぃ!何をするんだ!返したまえ!」と言ったかどうかは定かではありませんが、記事によれば、その後現場はさして混乱もなく、式典は再開したといいます。まあ校長としては、とにもかくにも「俺はやったぞ!」というアリバイはできた訳ですから、結果は失敗に終わったものの、「これで教育委員会に顔が立つ…」と少し安心さえしたかもしれません。



それにしても、ちょっとだけ君が代が流れたと思ったら、すぐに止まってシーンとした体育館って、なんだかシュールで哀愁ありますね。そして、何事もなかったかのようにすぐに再開する卒業式。私が卒業生だったら、もしかすると結構おもしろ哀しくて思い出深い卒業式になったのでは…と思ったりもします。

強行した校長側も、テープを止めた教職員側も、大変失礼ですが、いい年した大人が必死にやるようなことではないのでは、と思わずにいられません。もしこれが家のお父さんだったら…と考えると、何とも哀れで涙を禁じえません。いや、これは私がいい年だからですが、もしこれが思春期の娘だったら、格好悪すぎて2年くらいは家庭内でお父さん無視状態になってしまうかもしれません。

裁決の内容自体は妥当だと思うのですが、それ以前に、何とかして当日の不幸な対決を避ける道はなかったのだろうか、と残念に思います。




日の丸・君が代指導に従わないから、強制/強行する、という考え方は、強権的かつ安易であり、教育という場に最もふさわしくないものです。幼稚園から大学まで一貫して、教育の場は軍隊とは違います。国旗国歌のように、いまだ国民の間で議論のある事柄を、十分な議論を経ずに上意下達式に押し付けるのは、やはり教育基本法10条の「不当な支配」にあたると解釈されても仕方ないでしょう。

教育の場でこうした精神的自由権にかかわる事柄を扱う場合は、やはり民主主義的プロセスを経る必要があると思います。民主主義とは、プロセスに時間と手間がかかるものです。この時間と手間を惜しんではなりません。現場の学校、ひいては校長、教職員らには、現場での合理的な裁量権があります。裁量権と民主的プロセス。この2つを最大限に活用することによって、教育現場から強制や処分という軍隊的な方法を駆逐すること。そのプロセスを生徒や保護者にも公開すること。そして、決まったことは校長、教職員ともに責任と義務を持って遂行すること。実は、このプロセスこそが、教育そのものではないかと思います。

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2006年10月27日 (金)

9/30マル激トーク・オン・デマンドを見る

Dsc01620
いい感じで秋ですね。
皆様いかがお過ごしでしょうか。

今時期の日高は
道内でも比較的暖かい方で、
過ごしやすい日が続いています。

おかげ様で風邪も良くなりまして、本日久々に外出できました。

そしたら、雪虫を見ました!
もう冬?

来週水曜日はもう11月だし、
早すぎて嫌になっちゃいますね。



さて、昨日の日ハム戦、皆さん見ました?
セギノール打つ! 稲葉も打つ! 
新庄最後のバッターボックスは、涙のフルスイング三球三振でした。
札幌の瞬間最高視聴率は、なんと73%だったとか。

結局一度も新庄を見に札幌ドームに行かなんだ。残念。

優勝の喜びも束の間、早くも来年以降の日ハムはピンチ!のニュースが。
新庄引退に加えて、ヒルマン監督の引退、小笠原のFA移籍と、
後はヒチョリしかおらへんで~という事態になってしまうかもしれません。

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さて、今ごろ9月30日収録のマル激トーク・オン・デマンドを見ました。
本当は大量アクセスのあった時に見ようと思ったんですけど、なぜか家のパソコンではアクセスできなくて見られなかったので、DVDをお借りしました。

■2006年9月30日収録
第287回マル激トーク・オン・デマンド
安倍内閣、支持率70%の中身を問う
ゲスト:山口二郎氏(北海道大学教授) 75分

http://www.videonews.com/on-demand/281290/000901.php
(※この回は無料放送)

いや、これが面白かったです。
何が面白かったって、

■宮台氏(安倍氏を評して)「頭悪そう」

いくら何でも、一国の首相を、しかも仮にも支持率70%台の自国の政治的代表を評して、「頭悪そう」とはこれまた、知識人たる宮台氏の発言とも思えぬまさかの直球コメント。私が言うならともかく。思い余ってつい言ってしまった…という体でしたが、世の中、本当のことは、あまりはっきり言ってしまうと失礼にあたるものです。

宮台氏も、可能ならば、このようなまさに「頭悪そう」な直球コメントは自身でも避けたかったのではないかと思いますが、もうまさにそれしか言いようが無いというか、新庄最後のバッターボックス涙の三球三振フルスウィング直球ストレートでバッターアウト!というか、第88回全国高校野球選手権大会夏の甲子園決勝延長戦最後のバッター田中君にハンカチ王子斎藤君渾身のド真ん中ストレート三振アウトでゲームセット!26年ぶり決勝進出の早稲田実業、強豪駒大苫小牧を破り初優~勝~!ぐらいのストレートぶりで、ズボッと壷にはまりました。

曰く、山口氏が安倍氏の著書『美しい国へ』に言及して、「形容詞をよく使う政治家というのは…」という主旨のことを述べたのに続いての発言でした。



しかし、安倍氏とて、仮にも日本国の内閣総理大臣たるもの、たかが知識人風情に「頭悪そう」などと言われておめおめと引き下がっては、「昭和の妖怪・岸信介の」という看板がすたるというものです。1960年日米安保強行採決で国民に総スカンをくらって退陣せざるを得なかった偉大なる祖父・岸信介に申し訳が立ちません。

そういえば、安倍氏にも一時期学歴詐称疑惑がありましたが、米ペパーダイン大卒と詐称して演歌歌手じゃあるまいし泣きながら謝罪した古○某や、LSEに留学していたと詐称しながら5年間も首相を務め上げた○泉某などと一緒にされては困ります。格が違います。だって、確かに

■南カリフォルニア大学「留学」 (≠「卒業」)

…なんですから。嘘でないって。

一時期、週刊ポストが暴走して「学歴詐称」などと報じたこともありましたが、それこそ真っ赤な嘘です。南カリフォルニア大学に在籍していたことは間違いないんですから。詳しくは下記ブログをご覧ください。

gori氏のブログ Irregular Expression (2004年02月05日)
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200402051200.html

いや、そりゃあ卒業はしてませんよ。記事によれば、同大学のポリティカル・サイエンス(政治学)専攻に1年間在籍し、政治学を学んだ、とあります。「ただし学士の資格は得られなかったという。またどんな単位を取得したかなどの詳細は、本人の同意がなければ公開できないという。」とのことですから、真偽のほどは定かではありませんが、まあいくつか単位は取っているんでしょう。それは本人のみぞ知ることです。

学士も取ってないし、卒業もしてませんけど、そんなことはいいじゃありませんか。「在籍」したのは確かなんですから、決して学歴詐称ではありません。安倍氏は「卒業」とは一言も言ってません。あくまで「留学」ですから。嘘など付いていませんよ。仮にも一国の首相なんですから、失礼な。

(参照)
Wikipedia 学歴詐称
http://ja.wikipedia.org/wiki/学歴詐称
(※上記アドレスを、最後の「学歴詐称」の漢字まで全てコピーして、http表示ボックスに貼り付けてEnterを押してください)

え? 日本(成蹊大)で学士号を取ってるんだから、なんでアメリカでまた学士号を取るための大学になんか行かなきゃなんなかったのかって? 普通は学士号の上の、修士号を取るために大学院に行くんじゃないかって? バカ言っちゃいけないよ、おまえさん。ねえ、何も知らない人が。塩まいとくれ。塩! 

じゃなくて、そういう人もいるんだろうけど、安倍氏は別に研究者になるわけじゃないんだし、大学院てのは恐ろしく難しくて普通の人がおいそれと入れるところじゃないんだから、別にいいんです。細かいところは突っ込まないでほしいと思います。

最近の週刊ポストもそうですが、あんまりうるさいことを言うと、政治家の強い味方・個人情報保護法で訴えられてしまいますよ。先ほども述べたLSE学歴詐称疑惑のサメ脳派二代目は、度重なるレイプ疑惑にも泰然自若としていましたが、サメ脳派一代目は買春検挙疑惑にこらえ切れずに、岡留さんの『噂の眞相』を訴えてしまいましたから。最近は週刊誌片手に国会質問なんていうとんでもない輩が出現し始めて、いい迷惑ですから、ここいらで一発締めとく…なんてことにもなりかねません。気をつけないと。


それに、彼は間違いなく成蹊大学法学部政治学科卒ですから、

■「法の支配」と「法律の支配」を間違える

…なんてことは罷り間違ってもあるはずがありません。そんなことがあっては成蹊大学法学部の恩師の錚々たる面々にあわせる顔がないではありませんか。成蹊大学法学部には憲法の授業がない? 誰ですか。そんな不届きなことを言うのは。法学部で憲法を履修せずに卒業できる訳がないじゃないですか。誰にものを聞いてるんですか。仮にも日本国の首相ですよ全く。

それに、たとえ法学部卒でなくたって、男・安倍晋三、いやしくも立法府の一員であるだけでなく、内閣府の長を務めるもの。法と政治のスペシャリストとして、そんなことは朝飯前の常識です。常識であるはずです。多分そうじゃないかな。まちょと覚悟はしておけ、と。

(参照)
2チャンネル掲示板
「安倍が「法の支配」を「法律の支配」と間違えてる件」
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/jurisp/1160384786/



そもそも、「頭悪そう」とか言う話になると、すぐに人の学歴を云々する輩がいますが、人を学歴で評価しようとすること自体、それこそ「頭の悪い」話ではありませんか。人間としての評価は、学歴だけで計れるものではありません。いわんや政治家たる者の評価をや、です。

現に、名だたる大企業の採用試験においても、学歴不問採用をするところがあるではありませんか。蓋を開けてみたら有名大学卒業者ばかりだったとか、そういうことは彼の関知するところじゃありませんから。

政治家たるもの、有権者の皆さんに選挙でしっかりと選ばれ、国民の忖度にしっかりと応え、そして国民を代表してしっかりと権力を行使すること。これこそが、政治家たるものの務めであり、その結果を国民の皆様方がしっかりと評価してくださるものと信じて、日々研鑚し、邁進して参りたいと、思います

…って、いつの間にか永六輔演説口調になってしまいましたが、誰か乗り移ったんでしょうか。



それにしても、仮にも一国の首相たる人物について、下記のような破廉恥な文章を書く輩がいるとはケシカラン限りです。しかも検索するといろいろなバージョンがある模様。

「サワヤカな安倍晋三は…」
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0606/060612-4.html

まあ上記文面も、全文語尾は否定形ですから、ケシカラン訳でもないですか。考えてみれば、宮台氏の言も、あくまで「頭悪そうであって、「頭悪と断定してる訳ではありませんから、そんなに目くじら立てるほどのことでもありませんかね。



つか、どう擁護しようと思っても、擁護しきれないほどどこを取ってもどうしようもない…というところが、宮台氏をして「頭悪そう」と言わしめてしまった原因ではないでしょうか。少なくとも私の芸ではいくら頑張っても「ほめ殺し」の域にしか達しません。

宮台氏は加えて、安倍氏を取り巻く政治家たちをも評して「知的でない」とも。山谷えり子氏などその代表例のようです。

名うての夫婦別姓反対論者であった高市早苗氏(現内閣府特命担当大臣(沖縄、北方、科学技術政策、イノベーション、少子化、男女共同参画、食品安全))が、同じく衆院議員の山本拓氏と結婚した今も、なぜか「高市」と旧姓を名乗っていることについても言及。政治家は、本名でなくてもいいみたいですから、いいんですかね。

っていいわけないだろ。どうしてここまで厚顔無恥でいられるのか謎です。それとも松下政経塾的にはきちんと整合性が取れているということなんでしょうか。

高市氏の矛盾はともかく、おそらくは少なくとも半数以上の日本国民が、この安倍氏を支持しているという現実があります。私の周囲の人の中には、5人はおろか50人に一人もそんな人は見当たらないので、本当にどこにそんな人がいるのか、皮膚感覚として不思議で仕方ないんですが、この支持率の高さは信じたくなくても本当なんでしょう。

仮に70%が安倍氏支持としましょう。ということは、この「頭悪そう」な首相の言葉にすら靡いてしまう、知的レベルが「頭悪そう」な首相以下の国民が、全体の7割を占める、ということです。ナチス台頭期も、知識人は当初馬鹿にして相手にしなかったと言います。気付いた時には、ナチス支持層は圧倒的多数となってもはや止めようがなかった。これと同じことが日本で起こるとしたら、おそらく今だろうという感じがします。

サメ脳派改め町村派三代目で身上が潰れるか。潰れる身上が派閥だけならいいのですが、国敗れて派閥あり、だったら敵いませんね。やる気ある無能者の善意ほど性質の悪いものはありません。


(参照)
ライブドア世論調査
http://news.livedoor.com/webapp/issue/list?issue_id=111

リアヨロ 「安倍内閣支持率@10月」調査結果
http://www.yoronchousa.net/webapp/vote/result/?id_research=1224

Yahoo みんなの政治
「自民党総裁選に投票できるなら、どの立候補者に投票しますか?」
http://quizzes.yahoo.co.jp/quizresults.php?poll_id=3425&wv=1




今回のマル激トーク・オン・デマンド、もちろんこの宮台氏の発言のみならず、全編面白くて75分もあっという間でしたが、今日は宮台氏の「頭悪そう」発言だけに過剰に反応してみました。宮台氏が、この安倍政権下で知的に物事を考える意義、みたいなものを考えてしまう…という主旨の発言をしていたのが印象的でした。

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2006年10月13日 (金)

国旗国歌 東京地裁判決③

日本ハムがパ・リーグ優勝を決めました。
すごいですね~。

買い物に行く度に、あらゆる売り場で♪Go!Go!ファイターズ!♪の歌が大音量でうるさい静内ポスフールは、当然今日から3日間の特別セールを開催中です。チラシを見る限り、ハムが特別に安いわけではないようですが、人込みが苦手な私は安さに惹かれつつも行かないことにしています。静内といっても、混むときは結構混みますから。

さて、この国旗国歌シリーズ、まだ地味に未完でした。いつ終わるとも知れませんが、少しずつ書き足していこうと思います。単なる私の備忘録ですので、どうぞ読み飛ばしてください。

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■参照

国旗国歌 東京地裁判決①
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_13fb.html

国旗国歌 東京地裁判決②
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_3577.html

<目次>
① 「仕事」なのか?
② 「わがまま」なのか?
③ 「何でも拒否できる」のか?
④ 「規律が取れない」のか?
⑤ 「国旗国歌は日本人の常識だから従うのは当たり前」なのか?
⑥ 最後に


* * * * * * * * *

③ 「何でも拒否できる」ことになるのか?

もちろんそういうことにはなりません。国旗国歌だから拒否しているのであって、その他何でもやりたくないことは拒否できる、と考えるのは論理の飛躍です。何でもごちゃまぜに考えてしまって、思考の整理が付かない人がよく言うことです。現に、原告教師らは、科目の教授やその他生活指導などという職務は果たしていると思われます。

国旗国歌の強制は、教師の精神的自由を侵害するというのが原告らの訴えであって、これとその他の職務とは区別して考えるべきでしょう。原告らにとって、国旗国歌は特別だということです。

「一度職務命令として発されたのだから、その他の職務同様、国旗国歌にも従う義務がある」とする説は、<国旗国歌は所定の義務である>ということが既に前提となっている点で、議論の軸足が時間的・段階的に後にずれています。

今回争われたのは、まさに<国旗国歌が義務か否か>という点であり、その争点に対して自分で<義務である>と既に答えを出しておいてから、「従わないのはおかしい」とする人は、議論の段階をもう一つ前に戻して考える必要があります。すなわち、<そもそも義務なのか?>というところから思考をスタートさせる必要があります。道内の議員にも、そうした思考ができない人が多いようです。理解しようという姿勢がないばかりか、読解能力がないと思わざるを得ません。


…というか、このシリーズ、そもそも私が自分で問題設定して書いているものですから、自分で自分に反論しているわけで、少々ばかみたいというか、疲れてきました。

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2006年10月 6日 (金)

稲田朋美氏「丸焼け」発言道新記事全文

自民党所属の衆議院議員・稲田朋美氏が、加藤紘一氏の自宅放火事件について、先生の家が丸焼けになった」と軽い口調で話したとの報道がなされた、北海道新聞の記事です。以下全文を転載します。

* * * * * * * * * * *

※お詫び※

…として全文を掲載していたのですが、コメント欄にて
<新聞記事の全文掲載は著作権の侵害になる>とご指摘頂きまして、残念ながら削除いたしました。事前にきちんと調べるべきでした。大変申し訳ございません。改めて9月6日掲載記事と同じ部分のみ引用させて頂きますので、どうぞご了承ください。ご指摘くださった「おせっかい」さん、どうも有難うございます。

* * * * * * * * * * *


2006年09月05日北海道新聞一面掲載
連載 「自民総裁選の底流 安倍政治の行方1」
国家主義台頭に危うさ

保守系の論客らでつくる「『立ち上がれ!日本』ネットワーク」は八月二十九日夜、「新政権に何を期待するか」と題して都内でシンポジウムを開いた。同ネットの呼びかけ人は中西輝政京大教授、八木秀次高崎経済大教授ら、安倍氏の政権構想づくりにもかかわったとされるブレーン。安倍氏の持論の「草の根保守」の支持層拡大に向け、全国で支部設立を進めている。

出席した自民党の下村博文、稲田朋美両衆院議員、山谷えり子参院議員は、小泉首相の靖国参拝への礼賛や、中国、韓国批判、歴史教科書の検定強化などの主張を次々に展開した。

いずれもタカ派で熱心な安倍支持の中堅・若手。
稲田氏は、地元福井の新聞で首相の靖国参拝を批判する加藤紘一元幹事長と対談したことを紹介。加藤氏の実家が右翼団体幹部に放火された事件について「対談記事が掲載された十五日に、先生の家が丸焼けになった」と軽い口調で話した。約三百五十人の会場は爆笑に包まれた。言論の自由を侵す重大なテロとの危機感は、そこにはみじんもなかった。

* * * * * * * * * * *

■関連記事
当ブログ9月6日掲載記事
全体主義へ
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_de5b.html

* * * * * * * * * * *

皆さま日々お元気でお過ごしでしょうか。

郵政民営化に反して自民党を干された荒井広幸氏(※新党日本を離脱し現在無所属)の、安倍氏のつま先にキスしそうな勢いの「自民党復党したいにゃ~♪」ラブコールの臆面の無さとか、民営化された郵貯340兆円のうち200兆円は既に米国債を購入済みとか、安倍氏が前原前民主党党首らと米ネオコンシンクタンクAEI主催の政策研究会に出席していて、そのテーマが「日本と中国を、どのようにして戦争に突入させるか、そのプラン作り」だったとか、もうちょっとやそっとのことでは驚きませんよ!という感じで日々感覚は麻痺しつつありますが、ちょっと待てと。

そういう方向への「慣れ」とか「諦め」って、マズイんじゃないか。ちょっと立ち止まって、変なことは変だ!と普通に怒ってみないとヤバイんじゃないか。もしかして、同じように思ってる人が結構いるのかもしれないし。「そんなのもうこうなったら珍しいことじゃないよね~」とか言うのは簡単ですが、何か違うなーと思いまして。

やっぱり、この稲田朋美議員の発言と態度は、非常に問題です。「あの人ならこういうことも言いかねないよね。ふふん(今さらそんなことじゃ驚かないわよ)」と、つい慣れたフリしそうになりますが、それって消極的に認めることと結局同じになってしまうのではないかな、と。

言論の自由を脅かす重大なテロに対しては、断固としてNO!と言う。これは、言論の府たる国会の構成員として、当然の、しかも最低限の「常識」です。政治的主張云々以前の問題です。

このような民主制に対する基本的な認識を欠く人物に、国民の代表たる衆議院議員の地位を預けたままで、思い切り立ち上がられちゃっていいのでしょうか。放って置くと、大変なことになりますよ~、という気がしてなりません。

毎日「えーー?何それ!」ということばかりで感覚が麻痺しそうですが、フレッシュな怒りを持続できるように、日々身体を鍛えて頑張りたいと思います。森光子氏のスクワット、あれは効きます。特にお尻にグッドです。


■参考

森田実氏のサイト「森田実の時代を斬る」
2006.7.10 森田実の言わねばならぬ[207]
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02758.HTML

きっこの日記 (9月21日掲載記事)
http://www3.diary.ne.jp/user/338790/

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2006年10月 5日 (木)

大量アクセスの秘密

10月に入ったものの、暖かい日が続いております。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、今日家の近くのどなたかの畑で、ひょうたんを見つけました。

Dsc01561
何に使うのか…

長さ10cm強はありました。
一味唐辛子入れには
ちと大きい。

他にも大小問わず
ぶらぶらたくさん
なってました。




私にも一つくれ・くれ~い!と盗みそうになりました。

何に使うのかと言いますと、
それはやはり、中に酒を入れて、

Suiken
酔えば酔うほど
強くなる、

ドランクマスター 酔拳
お師匠様になるのです。

指でくるみ割ったりして。

こちらのページから写真をお借りしました。すみません…)
* * * * * * *


ちなみに、私の宝物Tシャツは、こちらです。

    裏も、            表も、

Dsc01585    Dsc01584_1

両面最強ブルース・リーです(\1000-にて購入)。
しかし、燃えよドラゴンのテーマに合わせて
アチャ~!とポーズを決めると、
脇の下に穴が開いています。縫わないと。

* * * * * *

そんなことはどうでもいいとして、今日の本題です。

先日、当ブログの大量アクセスについて少し書きましたが、その後減少傾向にはあるものの依然としてたくさんの方に訪れて頂いているようで、10月1日(日)から4日間の合計アクセス数は、1600を超えました。内訳は以下の通りです:

       10月01日(日) 628
         02日(月) 431
         03日(火) 284
         04日(水) 278  4日間合計1621

人気ブログを装うために私が一人で4日間にわたり1621回地道にアクセスしたという説もありますが、さすがの私もそこまで暇ではありません。それにしても、その世界では有名なMy母の俳句を載せていたら、母が心配していた通り、盗作されてしまうぐらいの勢いでした(←誰もしないっての)。

記事別のアクセス数を調べたところ、この大量アクセスのうちの大半が、9月6日の稲田朋美議員の加藤氏自宅「丸焼け」発言に関する記事(「全体主義へ」)であることが分かりました。

もなかさんという方から頂いたコメントで分かったのですが、マル激トーク・オン・ディマンドというネット番組にて、ゲストの山口二郎北大教授がこの稲田氏の「丸焼け」発言に触れたことが原因のようです。当記事掲載の日にち(9月6日)とアクセスが増え出した日(10月1日)とのギャップを考えると、おそらく間違いないと思います。

■9月6日掲載
全体主義へ
http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_de5b.html

■ビデオニュース・ドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド 第287回(2006年9月29日放送)
安倍内閣、支持率70%の中身を問う
ゲスト:山口二郎氏(北海道大学教授)
http://www.videonews.com/

私が9月6日の記事を書く際に、北海道新聞のHPで当該記事を探してみたのですが、特集記事であったせいか、どうにも見つけられませんでした。おそらく皆さんも当の北海道新聞の記事を読みたかったのでしょうが、検索では出てこなかったので、代わりに私のところへアクセスしてくださったのではないかと思われます。

この過疎ブログが一時期賑わったのも、そういう背景があってのことと推測しています。メディアの力というのは、大きいものですね。訪れてくださった皆さま、そして山口教授、有難うございます。そんな山口教授の得意料理は、餃子です。



=====追記=====

この稲田氏の「丸焼け」発言の問題性は、左右を問わずもっと取り上げられてもいいと思うのですが、そうはなっていないようです。というか、これからなのかもしれません。

左右を問わず、「この発言はいくら何でもヤバイんじゃないの~?」と思う人、結構いるんじゃないでしょうか。人の不幸を喜ぶのはケシカラン、とかいうレベルではなしに、公人としての常識及び品位の無さ、言論への暴力に対する認識の甚だしい欠如などと言った、議員としての基本的な資質をもっと問う議論がなされてもいいのではないかと。

う~ん、もっと盛り上がるといいなあ。道新HPにこの記事が掲載されていないらしいのがイタいですね。私が打って再掲載してしまおうかな。その前に当ブログ大量アクセスブームは終わりますね。とほほ。とりあえず明日にでも。



◎おまけ◎

この稲田「丸焼け」発言の影響は、ネット上ではどの程度なのかな?と思い、ちょっと検索してみたところ、下記ブログを見つけました。

http://fukuma.way-nifty.com/fukumas_daily_record/2006/10/post_b8fb.html

道新記事の引用部分は別として、筆者の方の地の文章の前半が、どうも私のブログ記事と若干似ているような気が…。同じではないものの、言葉遣いとか、う~ん… いかがでしょうか。

あの、私の思い込みだったら大変申し訳ないのですが、もしも私の記事を「参考」にされたのでしたら、それ自体は全く構わないのですが、ネタ元を明記されるとか、事前事後にちょこっとコメントやTBなどでお知らせ頂けたりすると大変有難かったな~と思いました。勘違いでしたら本当に失礼なのですが、どうぞよろしくお願いします。

    ↓

◎おまけの追記◎

当該ブログの主催の方から早速ご連絡を頂きまして、丁寧に対応して頂きました。
有難うございます。取り急ぎお礼とお知らせまで。。。

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2006年10月 3日 (火)

国旗国歌 東京地裁判決②

コメントで少し毒を吐いたら一週間分の便秘を下剤クリアしたような感がありますが、異論を頂くにしてももう少し発展的な内容でないと私論を相対化することも補強することもできないので欲求不満だったりして、そもそも言語能力に乏しい人に何か言っても暖簾に腕押しで対話不能なので砂漠のような無力感があったりもする一方、言語能力に乏しい人にありがちな言論以外の方法による報復があったら怖いなーと怯えつつも「言論には言論で」と多少弱腰で言ってみる今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

* * * * * * * *

ちょっときっこのブログを真似てみましたが、取って付けたようですね。

さて、9月29日掲載「国旗国歌 東京地裁判決①」の続きです。
誰も待っていないと思いますが、早く書かないと私が内容を忘れてしまうので…。

* * * * * * * *


② 「わがまま」なのか?

原告教師らが、式典時に日の丸・君が代を拒否したことは、「わがまま」なのでしょうか。

東京地裁は、そもそも義務がないので処分は違法、と判示しました。「わがまま」か否かには言及していませんが、結果原告らの主張を認めた以上、「わがまま」ではないと判断したと言えるでしょう。

思うに、今回の場合、「わがまま」か否かを分けるのは、拒否の理由に正当性があるか、ということではないでしょうか。つまり、拒否の理由が単に「やりたくないから」「うざいから」「イタイから」等というものであれば、それは「わがまま」と言えるでしょう。これらは正当な理由としては認めがたいですから。

しかし、拒否する側に正当な理由がある場合――憲法上保護に値する基本的人権が侵害される等――、たとえ国旗国歌を尊重せよという要求自体が正当であったとしても、それを上回る利益が認められるので、都教委側が強制できるということにはなりません。

今回、原告側には正当な理由(利益)があったと私は思います。ゆえに、「わがまま」ではない。具体的には、原告側教師には、国旗国歌強制に際して、思想および良心の自由(憲法19条)、信教の自由(同20条)、表現の自由(同21条)などを侵害される危険があった。

        *************

しかし、「わがまま」か「正当な理由ある拒否」か、こうした法的利益の正当性の判断は、誰にでも簡単にできるというものではありません。やはり素人には難しい面もあります。ここに裁判官の存在意義があります。

ただ、戦後60余年の間、裁判所は行政の裁量を大幅に認める等して、違憲(違法)審査権を消極的にしか行使してきませんでした。だから、国民は「人権って割と認められなくて普通なんだー」と理解していると思います。裁判所がその刀を長い間抜いてこなかったために、今回抜いてみたところが慣れていない国民は皆驚いて、「それ切れないんじゃないの~? 裁判所なんてどうせ浮世離れした判決しか出さないしー、どうせ権威ないんだしー」と端からバカにしている感があります。判決に反対する人たちには、一応でも司法の判断を尊重するという姿勢が全く感じられませんので。

違憲(違法)審査権の消極的行使という戦後の歴史から判断すると、長沼ナイキ訴訟や砂川事件のように、本判決が高裁で覆る可能性は十分あると思います。

        *************

国旗国歌は、挨拶などの儀礼やマナーとは区別して考えるべきだと思います。日本の歴史的事情に鑑みた場合、戦後60余年が経った今でも、国旗国歌には少なくとも「まだ」、思想的・政治的・歴史的な意味が付着していると思われます。

そうした事情がなくとも、そもそも国旗国歌強制によって、国家への忠誠が強制される、あるいは試されるといった事態は、理由の如何を問わず違法(違憲)とすべきだと私は思います。

        *************

君が代・日の丸の処分者の9割は、東京都に集中しています。これは、東京都にだけ怠慢な教師が多いということではありません。全国の中でもとりわけ東京都が国旗国歌の実施を義務化し、管理を強化していることが原因です。例えるなら、制限速度が全国的に60kmのところ、東京都だけ30kmにしたために速度違反者が東京都に集中したようなものです。

他の自治体でも東京都と同じように実施を義務化すれば、今後処分者は鰻上りに増えるでしょう。他方、国旗国歌の運用を2003年以前の状態に戻せば、このような対立は減ることでしょう。

        *************

…そもそも国旗国歌法には義務規定が一切ないため、学習指導要領で義務化する法的根拠はありません。義務がない以上、「わがまま」か否かを論じる意味は、実は最初からないと思います。

* * * * * * * *

(脳が疲れて今日は突っ込みどころ満載の緩い文章ですが、ゆえに発展的な批判を期待しつつ、ブログが炎上しないことを祈って…。本当に最後まで辿り着けるのか…以下不定期に次回へ続く)

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2006年9月29日 (金)

国旗国歌 東京地裁判決①

はー、今日もいい天気でしたね。
気がついたら9月ももう29日で、あさってはもう10月です。
何それ!
と今さらながら驚く今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

* * * * *

さて、今さらながら、今月21日に出た東京地裁の国旗国歌強制違法判決について考えてみたいと思います。

ざっとブログの反応を見たところ、予想以上に反対意見が多かったです。賛成1に対して反対15くらいの割合でしょうか。「反日」「非国民」「日本から出て行け」なんていうのは論外として、おおむねこんな感じでした↓。

「仕事なんだからつべこべ言わずにやれよ。税金で給料もらってる公務員のくせに怠け者が。教師がわがままで何でも拒否できるってんじゃ、生徒に示しがつかなくて規律が取れないだろ。国旗国歌は日本人の常識なんだから従うのは当たり前。」

うんうん頷いている方も多いと思います。私も最初は「そう言われるとそうかもな~」と思う部分もありましたが、どうも腑に落ちないので考えているうちに1週間も経ってしまいました。とりあえず今の段階での備忘録のために、項目に分けて書き残しておきたいと思います。少々長くなりそうなので、何回かに分けます。

* * * * * * * * *

<目次>
① 「仕事」なのか?
② 「わがまま」なのか?
③ 「何でも拒否できる」のか?
④ 「規律が取れない」のか?
⑤ 「国旗国歌は日本人の常識だから従うのは当たり前」なのか?
⑥ 最後に


* * * * * * * * *

① 「仕事」なのか?

まず、「仕事」について考えてみます。「仕事なんだから」ってのは、まさに今回争点になった部分です。果たして、国旗国家条項には職務命令としての義務はあるのか。「あるに決まってるわ!」と言わずに、まあまあ。

東京地裁は、「義務はない」と判示しました。もうちょっと詳しく言うと、学習指導要領の国旗・国家条項に法的効力は認めたものの、そこから直ちに各種義務(式典時の国家斉唱の際に国旗に向かって起立し、国家を斉唱する義務、ピアノ伴奏をする義務)を導き出すことは困難である、というものです。

確かに、一般に雇用関係に入った者は、職務命令に従う義務があります。まして公務員ですから、一般の労働者に比べてその権利も制限されています(例:スト権)。ただ、職務命令ならば何でも従わなければならない、という訳ではありません。まず、(A)不当な命令(※注1)にまで従わなければならないという訳ではありません。命令が不当な場合には、従う義務自体がありません。例えば「腎臓を売ってこい」とかいう場合です。また、(B)命令自体は正当でも、それを為すことによって自らのかけがえのない利益が侵害されるという場合、その利益が命令より優先すると判断されれば、命令に従う義務はないことになります。

今回の判決は、ここ結構微妙だと思います。法的効力は認めるものの、義務はない、という…。よく分かりませんが、素人考えでは(A)と(B)の混合と言いますか、(B)の方が強いかな?と思います。原告側に優先的に保護に値する法的利益を認めた、ということでしょうか。今回の場合の法的利益とは、精神的自由権のことですが、その内容については、②で詳しく。

思うに、大雑把に言ってしまうと「一応仕事ではあるけど、強制するほどじゃない」といったところでしょうか。苦しい感じもしますが、何せ法的利益としては正対正のぶつかり合い(国旗国歌実施義務 vs 精神的自由権)ですから、土俵際ギリギリで原告の勝ち、というくらいで、原告圧勝!という訳ではないと思います。どちらが勝ってもどちらが負けてもおかしくはない。

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判決から離れて個人的に考えたのですが、これは「仕事」とは言えないと思います。

日の丸・君が代には、人によって評価や意見が分かれてしまう政治的・歴史的背景があります。その状況は戦後ずっと続いてきました。良い悪いは別にして、そのこと自体は事実ですよね。「意見を分かれさせてるのは奴らだ」という方もいるでしょうが、深刻な対立が続いていることは事実でしょう。

このように、争いのある事物を、多種多様な人間で構成されている学校という公の場(※公=publicの意味。公=国家ではない)に強制的に導入するというのは、ふさわしくないことだったと思います。

つまり、仕事(義務)か否かを論ずる前に、国旗国歌を教育の場に強制導入したこと自体が間違いだったと思うのです。もし導入されるにしても、事前に十分な議論が必要だった。

ですから、最初から導入されるべきでなかった事柄、もしくは対立が予想できるのに十分な議論も経ずに導入された事柄を、「仕事」として義務付けられるのは不当ではないか、と思うのです。

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東京都が国旗国歌実施の締め付けを厳しくし始めたのは、2003年からです。それ以前は、国旗国歌の実施は各学校の裁量に任されていましたので、学校によってあったりなかったりしていました。当然校旗・校歌はあったでしょう。それで足りましたし、別段問題もありませんでした。

国旗国歌法が制定されたのは1999年ですが、同法案の国会審議の際に、「強制はしない」という政府答弁がなされました。実は誰も信じていませんでしたが、「強制はしない」という答弁がなされたのは事実です。

これまで式典時には校旗校歌で済んでいたものを、なぜ突然2003年から義務化したのでしょうか。それまでは無しで済んでいたものを、さらには導入すれば当然混乱が予想されたものを、どうしてわざわざ強制導入したのでしょう。私にはそちらの方が不思議に思えます。

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まあそうは言っても、人間組織で働いていれば、理不尽なことは山ほどあるのが普通ですわね。「これ絶対変だ!」と思うようなことでも、一度仕事と決まった以上はやらねばならない局面ってのはたくさんあると思います。まー私もそうでしたし。そうでないとクビになったり、他の人が迷惑したりしますからね。そこんとこどうなんでしょう。

今回の国旗国歌導入を、民間の会社にあてはめてみますと…

ある会社で、朝礼などの行事の際に、社旗を掲揚してそれに向かって起立することと、あわせて社歌を斉唱することが義務付けられたとします。同社のトップセールスであるAさんは、通常の営業職務の他に、全社員への社旗社歌の定着をはかるため、支社長から社旗社歌の教育係に任命されました。一方、Aさんは、偶像崇拝を禁ずる宗派に属していたため、このような任務に付くこと及びそのような行為をすることは信条に反するのでできないと会社に訴えました。Aさんがその旨何度か申し立てていたにもかかわらず、同社は話し合いに応じず、そのうちAさんは減俸処分を受けてしまいました。

…社旗社歌が義務付けられること自体あり得なさそうですけど、こうして置き換えてみるとやっぱり変だな~と私は思います。きちんと営業成績は上げてるのに、社旗社歌ごときで何で処分されなきゃいけないの?と。まあ民間会社の場合、社員に対する裁量は公務員に対するものよりずっと広いと思われますので、このような事例でも処分は経営者の裁量内ってことでOKなのかもしれません。公務員の場合、スト権とかありませんから、こういう場合には却って救済の必要性が高いかもしれません。

まあそれも拒否する理由如何によると思います。ただ「嫌だから」ってんじゃなくて、それをすることによって自分のかけがえのない自由が侵害される(例:信教の自由)等々、やはり事例ごとに個別具体的に考慮する必要ありですね。いちがいには置き換えられない。

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しかし、教師の本来の「仕事」って何でしょうか。ネット上にはいろんな例えがありましたが、「教師の仕事は規律を教えること」という意見も結構ありました。けど、私は、教師の本来の仕事は、勉強を教えることだと思います。

今回原告になった先生たちは、その「仕事」をさぼっているわけではないと思うのです。もちろん生徒指導など規律や社会常識を教えることも業務の一つでしょう。しかし、規律・社会常識=即・国旗国歌!ってのも短絡的ではないでしょうか。国旗国歌以外にも、部活や学校祭など、規律・社会常識を教える機会や素材はいくらでもあります。何もそんなに国旗国歌だけにこだわらずとも。ねえ。

それとも、国旗国歌でなければ教えられないものってあるんでしょうか。あるとしたら、それって何なんでしょうか。愛国心? 国家主義? それとも国体の本義? 


(以下、不定期に次回に続く…)

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(※注釈)

※注1 「不当な命令」
職務命令が正当であるためには4つの要件が必要であると言われています。
 ①上司が発するものであること
 ②職務命令が職員の職務に関するものであること
 ③適法な手続きで発せられたものであること
 ④内容が憲法・法令に違反したものでないこと

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このブログが大火事にならないことを祈って。
つか、そんなに誰も読んでないと思うわね。
もしなったらなったでまたどっかで再開したいと思います。

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2006年9月 6日 (水)

全体主義へ

まずは、昨日の北海道新聞記事より一部抜粋。

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2006年09月05日北海道新聞一面掲載
連載 「自民総裁選の底流 安倍政治の行方1」 
国家主義台頭に危うさ

…保守系の論客らでつくる「『立ち上がれ!日本』ネットワーク」は八月二十九日夜、「新政権に何を期待するか」と題して都内でシンポジウムを開いた。同ネットの呼びかけ人は中西輝政京大教授、八木秀次高崎経済大教授ら、安倍氏の政権構想づくりにもかかわったとされるブレーン。安倍氏の持論の「草の根保守」の支持層拡大に向け、全国で支部設立を進めている。

出席した自民党の下村博文、稲田朋美両衆院議員、山谷えり子参院議員は、小泉首相の靖国参拝への礼賛や、中国、韓国批判、歴史教科書の検定強化などの主張を次々に展開した。

いずれもタカ派で熱心な安倍支持の中堅・若手。
稲田氏は、地元福井の新聞で首相の靖国参拝を批判する加藤紘一元幹事長と対談したことを紹介。加藤氏の実家が右翼団体幹部に放火された事件について「対談記事が掲載された十五日に、先生の家が丸焼けになった」と軽い口調で話した。約三百五十人の会場は爆笑に包まれた。言論の自由を侵す重大なテロとの危機感は、そこにはみじんもなかった。…

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赤字部分を読んで以来、生理的な気持ち悪さが消えない。記事中の稲田氏の発言がどのような文脈で為されたかは不明だが、たとえどのような文脈で為されようと、会場が爆笑に包まれるという事態は異常である。この人たちは、民主主義における最低限のルールを共有していない。恐ろしさを通り越して、どうにも気持ちが悪くて仕方がない。

加藤氏の自宅放火事件に対して、「当然だ」「ざまあみろ」と個人的に思う人がいても、決して不思議ではない。そのような人たちが集団を形成することも、別に不思議ではない。しかし、そこへ政治的勢力が同調することになると、様相は変わってくる。彼らは何とはなしに公の空間で正統性を獲得し始める。

今回の加藤氏の自宅放火事件に対して、この国の政治的トップたる小泉と阿部は、非常に鈍い反応を示した。二氏ともにこの事件に言及したのは、8月28日、事件から13日後である。この反応の遅さは何を意味するのか。その2週間という期間に、消極的なテロ容認の空気が醸成されたと感じたのは私だけであろうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060828-00000011-san-pol

こうした状況下での、本記事中の稲田氏の「丸焼け」発言と、会場の爆笑である。「加藤氏はあんな発言をするから放火されても仕方がない」という<ホンネ>が、公的な内輪空間で一体感とともに正統性を得た瞬間である。笑いに理屈はない。加藤氏自宅放火事件は、断じて爆笑ネタではない、というある種の教養すら、ここでは軽く飛び越えられている。

また、笑いは差別的側面も持つ。稲田氏と加藤氏とは、仮にも同じ政党の構成員であるが、ここには「我々」と「彼ら」という明確な線引きがある。「我々」は安全だが、「彼ら」は危険に直面しても仕方がない存在である。なぜなら、「彼ら」は「我々」を批判するからである。「我々」には安倍という次代のトップがついている、と。

記事によれば、党内の若手タカ派の増長に対しては、山崎拓ですら懸念を示しているという。

全体主義は、決して上からのベクトルのみで形成されるのではない。全体主義は、上からのベクトルと下からのベクトルが互いに呼応しあって初めて完成する。つまり、全体主義の完成には、下からのベクトル、すなわち大衆側からの熱い呼応が必要不可欠である。どちらが先かは問題ではない。

かつて、五・一五事件二・二六事件などのように、言論が暴力で封じられた時代があった。戦後も朝日新聞襲撃事件や、本島長崎市長・銃撃事件などがある。田中均・元外務省審議官宅に時限式発火物とみられる不審物が仕掛けられた事件では、お約束とは言え石原慎太郎東京都知事が「当たり前」と発言して問題となった。

嫌な感じが皮膚感覚で残る。テレビは朝から紀子さんの男児出産のニュースばかり流している。個人的に平和主義の今上天皇は、札幌でニコニコと公務をこなしている。私は、時代を傍観していることしかできないのだろうか。

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2006年9月 4日 (月)

安倍晋三の「教育改革」

政治ネタは書くのが難しいので避けてきましたが、ちょっとさすがにこれは「茶色の朝」の足音がしてきたなーと思って、取り上げてみました。文章に悩んで4日も経つうちに、安倍が憲法改正までも公約に書き入れるというニュースも出ました。そろそろ安倍の国家主義的な顔が本格的にメディアに登場し始めました。

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2006年8月31日 北海道新聞一面掲載

教育改革へ識者会議 首相直属、安倍氏が構想
  2006/08/31 08:06
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060831&j=0023&k=200608307629

 安倍晋三官房長官は三十日、九月の自民党総裁選後の首相就任を前提に、「次期政権の最重要課題」と位置付ける教育改革推進に向け、有識者らによる首相直属の「教育改革推進会議」(仮称)を設置する意向を固めた。秋の臨時国会で教育基本法改正案の成立を図ったうえで、ゆとり教育の見直しや教員の資質向上など、公教育の充実に官邸主導で取り組む。

 安倍氏は講演などで「学力向上とともに公への観念をしっかりと植え付けないといけない」などと教育改革の必要性を強調。現在、教育行政は文部科学相の諮問機関である中央教育審議会で議論されているが、安倍氏は「義務教育に大胆な構造改革が必要」として、改革を迅速に進めるため「経済財政諮問会議の教育版」(安倍氏側近)となる推進会議を設置する。

 同会議は学力向上の具体策として、問題のある教師の解雇を可能にするなど教師の資質向上策、第三者機関による学校評価制度の導入などを検討。学校教育に市場原理を働かせるため、児童・生徒側が学校を自由に選択し、自治体などが配布する利用券を授業料として納める「教育バウチャー(利用券)制度」の導入も含め、二○○六年度内にも具体策を打ち出す。

 青少年に「公の精神」を育成するために、大学の入学時期を九月に改め、高校卒業後に三カ月程度の奉仕活動を課して入学の条件とする制度の導入や、安倍氏が「自虐的」と批判してきた歴史教科書の見直しなども議論の対象に浮上している。

 安倍氏は九月一日に広島市で行う総裁選出馬表明の記者会見でも、憲法改正や「再チャレンジ」推進と並ぶ政権構想の柱として、こうした教育改革の方向性を打ち出す意向。ただ戦後教育の抜本的な見直しになるだけに、大きな論議を呼ぶのは必至だ。

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自民党総裁選は安倍で決まりの出来レースである、という報道が毎日流れて久しい。また、自民党総裁がそのまま内閣総理大臣に横すべりすることが当然と受け取られているので、自動的に次期首相は安倍、ということが全ての前提となっている。毎日の報道は競馬予想のようだが、このニュースは競馬より100倍面白くない。まだ行われていないことが120%確実だからである。報道側の麻痺もひどい。

そこへ来てこの政権構想である。実現するか否かは不明だが、次期政権で安倍がこれらのトピックに「着手」することは確実だろう。

特に、教育基本法を変えることは安倍の宿願だった。安倍は、2004年6月に佐世保市小6女児殺害事件に関して、こんな発言をしている。

長崎・佐世保で安倍氏講演、教育基本法改正の必要性強調
http://www.asyura2.com/0403/nihon13/msg/365.html
http://www.asahi.com/politics/update/0601/009.html (※朝日の記事は既に削除されていました)

自民党の安倍晋三幹事長は1日、小学6年の女子児童が同級生に切りつけられて死亡した事件が起きた長崎県佐世保市での講演で「大変残念な事件があった。大切なのは教育だ。子供たちに命の大切さを教え、私たちが生まれたこの国、この郷土のすばらしさを教えてゆくことが大切だ」と述べた。そのうえで教育基本法改正の必要性を強調し、党として7月の参院選までに改正案の中間報告をまとめて発表する考えを示した。 (朝日06/01 20:15)  


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さて、問題の教育基本法は、全部で11条(+前文+附則1条)からなる短い法律で、すぐに読める。

-文部科学省 教育基本法資料室
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/index.htm

教育基本法は、「教育憲法」とも呼ばれ、現行憲法の精神に貫かれた、全ての教育法令の根本ともいうべき法律である(前文参照「~日本国憲法の精神に則り~」)。憲法精神が教育へ具体化されたものとも言える。安倍は、憲法を変えることも公言している。憲法の精神を具体化した教育基本法を変えることも、安倍にとっては当然のことであろう。ちなみに、自主憲法制定は、安倍の希望というだけでなく、戦後一貫して自民党の党是であった。

(参照)
-教育基本法前文の概要
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/gijiroku/002/030201c.htm

全文を読む限り、この法律のどこが気に入らないのか、俄かには分からない。それよりも、安倍及び自民党のやろうとしていることは、第十条の「不当な支配」にあたるのではないか、ということの方が気になる。第十条は、まさに今回のような事態を予想して規定されたと言ってよい。時の政治勢力にとって、教育は最も支配下に置きたいものの一つだからである。

◎第十条(教育行政)   教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。

(参照)
「不当な支配」についての昭和22年の政府答弁
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/004/a004_10.htm


推測するに、安倍が気に入らないのは、教育基本法全体を貫く「個人の尊重」という価値観にあると思われる(第一条「~個人の価値をたつとび、…自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成…」)。戦後の個人主義尊重の風潮の行きすぎが、自分勝手な人間を量産し、現代の混迷の原因となった、ということだと思う。

もしそうならば、これは単に個人主義をミーイズム(自己中心主義、利己主義)と取り違えているだけである。意味の取り違えを根拠に、教育基本法を批判するのはお門違いというものである。また、よく言われるところの<悪しき横並び教育>も、単なる甘やかしに過ぎないのであって、戦後民主主義教育や個人主義の尊重とは何の関係も無い。まして、教育基本法との関係などある訳がない。

最近「個人主義」という言葉を「行き過ぎた」という形容詞とのセットで目にする機会が多いが、これも個人主義という言葉をミーイズムの意味で誤用してのものである。行き過ぎるも何も、この国で個人主義などあったためしがない。

ただ、言葉の意味は、誤用が多発することによって変遷していく例もあり、どうやら最近「個人主義」という言葉の旗色は悪い。本来両者は正反対の別物だが、そんな取り違えが故意だろうが何だろうが、そんなことは安倍にとってはもうどうでも良いのである。とにかく悪いのは教育基本法である。安倍にとっては教育基本法を変えることそれ自体が目的なのである。なぜなら、「公の精神」を叩き込みたいからである。もうそれが一大事なのである。あるいは、もう既に教育基本法の改訂は、「公の精神」を叩き込むための一手段でしかない。それも、国民一人一人の頭の柔らかいうちに、徹底してやらなければならない。できるだけ早いうちに。
…ということなんだろうと思う。

けど、「公の精神」というものが仮に必要なんだとしても、そんなもん学校で教えるもんじゃない。 まして時の政治勢力が決めるものでも全然ない。「公の精神」とか言いながら、それって結局国家を私するってことじゃないのか。


安倍の言う「公の精神」とは、新しい顔をしているようだが、「祖国観念の涵養」「奉仕的精神」など、戦中の思考を引きずったままの昭和22年の質問レベルと同じである(下記質問文を参照)。安倍は、昭和の妖怪岸信介の孫だから、無理もないのか。 民主党案も「日本を愛する心を涵養」とか言って同じレベルだけど。
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/004/a004_01.htm
(質問文)
【よき日本人の育成、祖国観念の涵養といった観点が欠けているのではないか。】
【奉仕的精神に満ちた国民の養成という観点が欠けているのではないか。】
※上記の質問は、戦中に為されたものではなくて、昭和22年ですから、紛れも無く戦後に為されたものです。人間の思考というものは容易に変わらないということの好例でしょう。

ある種の思想の継続性を感じます。危険です。ものすごく。

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突然ですが…

①能力があって、やる気もある人
②能力はあるが、やる気のない人
③能力はないが、やる気はある人
④能力もなくて、やる気もない人

上記4つの中で、最も良いのは①であることに異論はないだろう。それでは、最も悪いのは②~④のうち、どれか。

答えは、③である。
なぜなら、④であれば、少なくとも周囲に影響を及ぼすことはないので安全であるが、③の場合は、無能なのにやる気は人一倍あるため、その害悪を周囲に撒き散らす危険性があるからである。これが政治的トップとなる場合は、その国にとって致命的である。特に、その無能者が民主制の基礎に手をつけようとしている場合は最悪である。無能なだけなら悪いというだけで済むが、これにやる気が加わると、はっきりと有害である。

無能な者は、自らの無能を隠そうとするあまり、がむしゃらに何か事を起こそうとする。常に何らかの活動をして見せることで、「自分は頑張ってますよ!」という言い訳にしようとする。その努力は、往々にして、何も為すべきでないところに為され、無駄に様々な資源が浪費された結果、事態は以前より悪くなる場合が多い。しかも完全に「自分は善いことをしている」と思ってのことだから性質が悪い。

一度悪くなっても後で回復可能であれば良いが、改悪されたものがすでに回復不能であった場合、事は致命的である。教育という分野は、民主制の根幹に関わる事項であり、一度壊れると極めて元に戻りにくい繊細なものである。次期政権下で教基法がいじられることとなれば、国旗国歌法に続いて、教育の現場が更に混乱することになろう。

***********

安倍は、小泉より良いということはないだろう。
むしろ、安倍は小泉より「純粋」で「やる気満々」な国家主義者であるがゆえに、危険度は高いと見るべきである。

しかも、国内はこの不毛な言論状況である。無能者が思いきり無能ぶりを発揮できる土壌は整った。

すなわち、小泉が首相を務めた5年の間に、レッテル貼りや開き直り、説明拒否を繰り返すことによって、言論の府はブルドーザーで不毛地帯に地ならしされた。国民が学んだ小泉政治の「教訓」の一つは、権力の座にさえ就けば、何をしても何を言っても構わない、ということであった。権力者は強きものであるがゆえに抑制的で慎重であらねばならない、などという教訓は、森派も安倍で3代目となろうとしている現在、遠い昔の話となった。

一代目では、バカをバカと言える世論の一致はあった。しかし、
二代目では、バカは自ら「バカでない」と100回繰り返すことで、世論をバカに変えた。そして、
三代目では、バカは自らのバカを嘆く必要も心配も無い。なぜなら世論もバカになったからである。

かくして、無能者も首相となった以上は、何の心配も無く好き放題にふるまえる、という土壌は出来上がった。これは、非常に危険な状態である。体力が著しく弱っているときに、インフルエンザが流行するようなものである。

次のトップが小泉より良くなることなどないだろう、と悲観的に嘆いている段階はもう過ぎた。政治家としても三代目であり、森派総理としても三代目のこのダブル三代目に、私は身上を潰されたくない。我々は、安倍といかに闘うべきか、安倍をいかに阻止するかについて、政治的連帯を模索するべき段階に来ている。

けど「我々」って誰だ? どうやって連帯すればいいんだ? 
…と言っている間に、角を曲がってもうかなり長いこと来てしまった。

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2006年8月 8日 (火)

◆緊急!! Crisis in Lebanon◆

◆お知らせとお詫び◆

この欄に載せていた情報は、スパムメール送信やフィッシング詐欺などの不正行為に利用される恐れがあるとの指摘があり、現時点でその可能性が払拭できない以上、この情報は載せるべきでないと判断しまして、当ブログからは削除することにしました。

当該署名サイトが偽ものであるか否かは未定ですが、現時点で署名にご協力頂いた方には、深くお詫び申し上げます。

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