「8 1/2」
<見逃した名作シリーズ>二日目、
今日は「フェリーニの8 1/2」を観ました。
■8 1/2
1963年 イタリア 監督:フェデリコ・フェリーニ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ、アヌーク・エーメ、クラウディア・カルディナーレ
映画制作に行き詰まる監督の日常、彼をめぐる女性たち、そして彼の頭の中の記憶。それら全ての混沌を描く、フェリーニの傑作です。
偉大なる創造のための破壊!という一点へ向けて、
あらゆる混沌が、実は緻密に論理的に収斂していくプロセス=映画を堪能することができます。
美しい映画でした。
「白黒だから」というべきか、「白黒なのに」というべきか。はたまた両方か。
「サクリファイス」「ノスタルジア」に続き、映画館で観るべき映画ベスト3です。ビデオで観てしまったことは忘れたいほどです。
死ぬまでに一度でいいから、この映画を映画館で観たいものです。
この「8 1/2」という不思議なタイトルは、フェリーニの8と1/2番目の映画
(共同監督作品やオムニバス映画を1/2と数えて)という意味なのだそうです。
冒頭、主人公の監督が、行き詰まった日常からの脱出を夢見るシーン。
ドアも開かないほど前後左右ぎっしりと詰まった車の列。
主人公の車には煙が充満し始め、主人公は必死に脱出を試みるが、
ドアも窓も開かない。周囲の人は誰も彼を助けない。
カメラは、彼を取り巻く車をゆっくりと写していく。
車から出られずにもがき苦しむ彼を、冷たい眼差しで凝視する男。
白い毛皮だけをまとった半裸の女性。
その女性の肩をゆっくりなでている男。
この女性の、毛皮からちらりと見える白い乳輪が、
信じられないほど美しいのです!
やがて彼はなんとか脱出に成功し、すべるように空を飛んでいきます。
…SF? ではありませんが、この冒頭の夢のシーンだけで、
この映画より前/後に作られたどの映画をも薙ぎ倒すほど、
この映画が比類なく美しい映画だということが分かります。
もう何をどう書いても主観まるだしで説得力皆無ですが、
要するに私の大変好きな感じの映画だったようです。
というか、映画が人生に似ているのではなくて、
人生が映画に似ているのだ!と断言してしまう映画でした。
今日の名言、出てしまいました。
ここ最近、三作連続でマストロヤンニを観ましたが(「甘い生活」「ひまわり」「8 1/2」)、彼は、若くても年取ってても太ってても痩せてても男前でもくたびれていても、とにかくいつでもどこでもどの角度から写しても、「あんた、全身役者やでー!」という俳優さんだとつくづく思い知りました。
どの映画に出ても「健さん」な高倉健とは似て非なる存在です。
「甘い生活」などでは、役名もそのまま「マルチェロ」でしたから、
もう役も自分もそのままなんじゃないの?と思えてしまうほど
境目がないように見えます。
しかし、「全然苦労していない」と思わせる俳優、
実はそれが本物の俳優ではないかと思うのです。
例えば、ロバート・デ・ニーロやダスティン・ホフマンなどは、
「すごい演技力」と賞賛されますが、ある意味「演技力」が素人目にも
見えてしまう、ということは、まだ越えるべき段階が一つあるように思えます。
マストロヤンニ以外にも、この映画には、「これでもか!」というほど
美しく個性的な女優さんが目白押しで、見所十分です。
主人公の妻役のアヌーク・エーメは、目力抜群の気品高い美人です。
頬骨が高くて骨格が綺麗。横顔が凛々しくて大変好きな女優さんです。
「甘い生活」にもリッチな有閑マダム役で出ていました。
「男と女」のヒロイン役で最も有名かもしれません。←これも観てない!
女優役として本名そのままで出演しているクラウディア・カルディナーレも、夢のように美しい女優さんです。本当に主人公の夢想の中に理想の女性像として夢のように登場するので、終盤彼女が現実に女優役として登場すると(ややこしいですね)、映画の中にも拘わらず、「やっと本物に会えた」と不思議な感覚に陥ります。
ですが、やっと現実に登場したにも拘わらず、監督と少し話した彼女は
すぐに「私の役はないのね」と悟ります。
彼女は、役がないだけでなく、映画そのものが作られないのだということを
この映画の中で宣言する、という重要な役割を演じています。
他にも、若くても年取ってても太ってても痩せてても下品でも上品でも、
とにかく異常に魅力的な女優さんが豪華目白押しです。
後で確かめると、140分と割に長い映画でしたが、
大変緻密で濃厚な作りになっているため、飽きずに観られるのでは…
と思うものの、好き嫌いがはっきり分かれる映画でしょうから、
自信を持ってお勧めはできません。どうもすみません。
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<追記>
蠍座のリーフレットVol.120を再度よく読むと、
「残念ながら『8 1/2』は日本での劇場上映権が消滅していて、
現時点ではスクリーンで見ることは不可能である。」とのことです。
また、
「『道』や『甘い生活』はまだ幸運な例で、外国映画の年代の古い
名作群はその殆どが日本国内での上映権が切れ、
映画館で見ることができなくなっているのが現実だ。
したがってどうしてもというときはDVDかビデオを購入するより手はない。」
(上記引用2箇所ともに蠍座館主の田中次郎氏の文章より)
…のだそうです。ものすごく残念無念。。。
大半はビデオで何とか我慢できても、中には圧倒的に劇場上映向きの映画があります。
最近はオーディオ機器も発達してきて、かなり立派なホームシアターが
実現できるようにもなりましたが、いくら立派になっても、やはりそれは
「お家でビデオ」の延長線上にすぎません。映画館とは根本的に異なります。
やはり映画を見る場所として、映画館にまさるものはありません。
どんなに小さな映画館でも、です。
なぜか。
不特定多数の他人と見るということ。
つまり、不特定多数の人と同じ時間と空間を共有すること。
トイレへ行きたくなっても途中で映画を止める訳には行かないこと。
家の「外」ですから、ある程度きちんとした格好をする必要があること。
「それって不便では?」と思えるかもしれませんが、
この「不便さ」および「本番感」が、映画と対峙する緊張感を生むのです。
緊張感のない映画鑑賞は、もはやテレビを見るのと一緒です。
そして、何と言っても最大の理由は、スクリーンです。
どんなに小さな映画館であっても、映画館のスクリーンはやはり特別です。
私にとって、映画はやはり特別なメディアです。
全くこれは人生の贅沢であると同時に、必要不可欠な精神的栄養でもあります。
たとえ隣の人のいびきがうるさくても、弁当の匂いが気になっても、
映画というものは、映画館という特別な場所で、
不特定多数の人と見るべきメディアだと思うのです。
…可能な場合においてのみ、ですが。
この、最も映画館にて上映されるべき映画の一つである
「8 1/2」が映画館で見られないという事実は、実に実に実に残念です。
「ワルキューレの騎行」の野外演奏シーン、
スクリーンで見たかったなー…
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