北の無人駅から

北の無人駅から
渡辺一史 著
余韻の残る本である。
とても面白く、深く、良い本だった。800ページ弱の大著だが、平易な語り口で読みやすく、かつ読みごたえあり、何だかいろんな意味で懐かしく、最後まで「もったいなく」読んだ。この情報量と質で2500円は安い。別に私は北海道新聞社の回し者ではないが、本書は誰彼構わず一読を勧めたい。新しい北海道に出会えると思う。Discover Hokkaido.なんつって。
本書は、過疎、自然保護、農業、漁業、観光、市町村合併など、現在の北海道が抱える諸問題を広く網羅しており、現在の北海道を知る上で、またとないテキストとなるだろう。しかし同時に、上記の諸項目を見ても分かる通り、これらはひとり北海道だけが抱える問題ではない。多かれ少なかれどの地方/自治体(首都圏も含む)も問題意識を共有する項目であろう。また、それらの諸問題は、少しでも掘り下げて考えようとすれば、他地域/他国/他分野等とのつながりに目を向けざるを得ない。全体と個別は相互に連結して常に影響しあっているからである。
北海道は、日本の脆弱な部分であり、政治、経済、行政等における日本の問題が顕著に、または先進的に現れやすい「地方」とも言える。本書は「北海道」という日本の一地方を扱いながらも、その個別具体性を丁寧に掬い取ることによって、単なる一地方の問題という枠を超えて、他地域の人も問題意識を共有できる広がりを持っており、その意味で、単なる一地方のローカリティを超えたグローカリズムとでもいうものを獲得していると思う。神は細部に宿る。←これ使い方合ってますか?
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余談だが、私の個人的な「良い本の指標」というのがありまして、それは「その本が次に読みたい本を指南する」というか、その本の元になった参考文献やそこから派生する分野へ自分の新たな興味を拓くというか、そういう本が私にとっての良い本なのだが、本書はその典型だった。章末のデータブックみたいなところや、巻末の参考文献に、読んでみたい本が山ほどあった。絶版で図書館にもないような本もたくさんあるようだが、できるだけ探して読んでみたい。そして、私も著者のような射程の長い視線とでもいおうか、そういう羨ましい視線を手に入れたい、と思った。
以下、私の超個人趣味的読み方/感想です。ひどく情緒的で冗舌なので興味と時間のない方は読み飛ばしてください。
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●懐かしい
久々に全方位的に面白い本に出会えたという感じがするのだが、なんでそんなに面白かったかというと、私の場合、たぶんある種の「懐かしさ」のせいではないかと思う。もう全編これ激しく懐かしいのである。何だか無性にがむしゃらに懐かしさ全開なのである。私自身は道東の一都市出身の道産子であるが、本書にその都市は登場しない。強いて近いと言えば最終章の白滝だが、私自身は行ったことがない。白滝のみならず本書に登場する町村の殆どを、私は訪れたことがない。にもかかわらず、こみあげてくるこの懐かしさは一体どうしたことか。いや、厳密に言えば行ったこともない土地に対して「懐かしい」ってのも違うんじゃないか?これは別の感情か・・・? しかし、じゃあ他にどんな言葉で・・・?と考えると、「懐かしさ」以外にしっくり来る言葉がないのである。この奇妙な「懐かしさ」は一体何か。私が北海道生まれの北海道育ちの生粋の道産子だから特別そう感じるという面もあるかもしれないが、いや待てよと。もしかしたらこの感情は、北海道出身者でなくても感じる種類のものなんじゃないかなと。つまり、この「懐かしさ」の正体は、出身地とかの属地的なものではなくて、もっとこう抽象的で精神的なものなのではないのかな、と。
この本には、「懐かしい」ものが溢れている。無人駅、自然、開拓、海、先祖、おばあちゃん、おじいちゃん等々・・・もう羅列したもののカテゴリー無茶苦茶ですが、普段忙しくしてると視界に入ってこないけど、盆正月になると妙な存在感を伴って蘇ってくるあれ、みたいなもの、誰でもありませんか? 自分の親や祖父母の苦労した歴史とか、小さいころに見たかもしれない景色とか、知っているようで知らない、知らないまま失われてしまうかもしれない、不可逆なものに対する愛着・・・
何ていうか、既視的な喪失感というか、既に失われたもの/今まさに失われつつあるものの存在感というか、またそれらに対する優しい眼差しというか愛というか、そういうものが本書には溢れているように思うのです。
自分の故郷がどこであれ、そこにそうした既に失われたもの/今まさに失われつつあるものを持つ人にとって、本書はかなり普遍的な「懐かしさ」をアピールするのではないかと思うのです。
タルコスフキー「ノスタルジア」を観た後に、深緑色の静かな余韻をじんわり感じる・・・ロシア(ソ連)/イタリアなんて全然行ったことないし勿論故郷でもないのに感じる、あんな感じに似ているというか。本書に挿入される写真がまた素晴らしいので、読後感もまた映画を観た後のような視覚的な余韻を伴うというのもあり。
その意味で、個別具体的な事柄を丁寧に掬い取ることによって、普遍に達する/普遍性を獲得するという困難な試みに、本書は成功したと言っていいのではないかと私は思うのです。本書は各所で絶賛されているようですが、おそらくその理由の一つはこれではないかと。本書はたぶん北海道に住む人でなくても面白く読めるのではないかと。それだけ言うのになんか無駄に長くてすみません。
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で、さらにこの本の素敵なところは、単にノスタルジックに終わるだけではない、というところなのです。未来への希望が仄かに灯るのです。若い農家の後継ぎ、神さんの手作り公園や白滝ジオパーク構想等々・・・。どん詰まりじゃないのです。そして著者の記述も「こうあるべき!!!」みたいな弾劾口調でなくて、何だか優しいのである。で、優しいんだけど説得力もあり、かなりきっぱりしていて反論するのはかなり難しいのである。
●かそけき声を聞く
本書の中で私が一番好きなのは、第6章の雄冬の章である(※PCで「おふゆ」と打ったら変換されなかった!固有名詞なのに!)。特に、香島さんというおばあちゃんにお話を聞くところ。お話を聞いて帰り際、著書が香島さんに言われた言葉が印象的だった。
「まあ、さっぱりつじつま合わねえ話だったろうけど、ババたちのお守りしたと思ってよ。オラたちもうれしくてアンタにしゃべったんだがら」
なんだか分からないんだけど、ここは何回読んでも鼻の奥がツンとして、わお~~~ん!と遠吠えしそうになってしまう。最近齢のせいかやたら涙もろくなったせいもあるんだけど、何だか泣かせるのだ。
物哀しい、というのとは違うし、かたや感動っていうのともちょっと違う。何というか、人と人とが触れ合った奇跡の一瞬が凝縮されたエッセンスというか、その土地に逞しく生きてきた人のかそけき声を著者が確かに聞いた瞬間を目撃したというか、やっぱり失われつつある儚さとかもあるのかもしれないけど、人から話を聞くという行為の真義というか奥義がここに顕現した!という気がして。切ない、というのが近いかも。
本書には、著者がインタビューの際に味わう様々な苦労が垣間見える。うまく行くときもあり、失敗するときもあり。その時々に自分が持つ資源を駆使し、かつ五感を総動員して真摯に人の話に耳を傾ける。「声を聞く」ことの面白さと大変さ、大切さを改めて感じさせられる。
いや、今私の中で「声を聞く」というキーワードがブームでして、強引に自分に引き付けて語ると、育児って・・・特に新生児とか幼児という、言葉を話せない存在の「声を聞く」ってのがまさに「育児」ってものらしくて、もう自分の今までの経験や知見ってのが全く役に立たない!歯が立たない!という状況の中で、しかし泣いている子どもを前に待ったなしなんで、とにかくそういう古い経験や知見を一度全消去して、勘とか思いつきとか五感総動員で何でも試してみるという、24時間脇の下にイヤな汗かきっぱなしの無制限一本勝負、みたいな感じなのです。私にとって育児とは、そういう気持ちの悪い宙ぶらりんの状態を耐え抜くことだったのですが、そんな中でもたまに適当に試したことが「当たり」だったりして(子どものその時の欲望が充足されたということ)、おまけにニッコリされたりすると、「通じた!!」とまるで宝くじにでも当たったかのようなラッキー!感がやってきて、なんかコミュニケーションって大概地獄のように難しいけど、天から一筋の光が差したように、素晴らしい!と涙ながらに神に感謝したい気持ちになったりするのである。
あ、全然関係ない?
何ていうか、自分の反省として、自己表現とか自己啓発とか、とにかくワーワー声高に自分を表現することばかりに血道を上げてばかりで、他者の声を聞くとか声に耳を傾けるという方がおろそかになっていた気がする。コミュニケーションとは、聞く/話すのどちらか一方が欠けても成立しないが、「いかに自分を表現するか」ということばかりに気を取られて、もう一方の「いかに人の話を聞くか」という、他者の声を聞く技術というか作法というか、そういう態度を軽視してきたように思う。
だけど、何というか、他者の声を聞くということが、実はとても豊かな世界を拓くような気がしている。それで今私の中で「声を聞く」というのがブームなんですが、ユダヤ教徒が(キリスト像に祈るキリスト教徒は対照的に)偶像崇拝を排してひそやかな神の声を聞くように、私もちょっと自分の口をつぐんで、子どもの、夫の、父母の、そのまた父母の、そのまたそのまた父母の、北海道に生きた/生きる人の、そしてこの土地のゲニウスロキの、かそけき声に耳を傾けたいと思っている。そのためには長い修業が必要な気がするが、そのヒントは本書にある。修業あるのみ。頑張ります。
●渡辺さんへ
先に、本書がいろんな意味で懐かしいと書いたが、実は私は著者の渡辺さんと面識がある。学生時代に、私は渡辺さんが主宰するサークルに所属させてもらって、いろいろとご迷惑をお掛けした。本当に恥ずかしい。当時の私は本当にはんかくさくてアホさ満点の田舎者で、当時の私を知る人の記憶から私に関する部分を全消去して回りたいくらいなのだが(覚えてないか)、そのサークルを通じて私は大切な親友を得た。S木さんというその友人は、現在も上海在住・勤務で私の結婚式にも友人代表スピーチをしてくれたのだが、つい先日たまたま日本に帰ってきていることが分かって、静内まで遊びに来てくれた。知り合ってから20数年が経ったことに二人で愕然としていた。たまたまその時に本書を読んでいる途中で、「面白いよ~すごいよね~」と渡辺さんの話をした。
そのちょっと前に家族で札幌へ遊びに行った際、北インターで高速を降りて北大通りを南下したときに、右手に赤い外装の居酒屋「たもん」を発見。20数年前でも結構古かった気がしたが、まだあったの~~~?(外装は新しくなっていた)とすごく懐かしかった。
渡辺さんのサークルの周辺には、とても面白い人がいっぱいいた。サークルの部室で初めて会ったT中さんという方とは、ゴルゴ13とスパイ大作戦の話で盛り上がった。個性的で話が面白くてとてもチャーミングな人だった。当時北大生だったT中さんたちが住むY林荘という下宿にも面白い人がいっぱいいた。S谷さんという方は、なにか飄々として捉えどころのない面白さを備えた人で、S谷さんとS木さんと私の3人で彼の車で静内までドライブに来たことがあった。それがまた間抜けだったのだが、確か桜の終わりかけのシーズンで、とりあえず桜並木を見に二十間道路まで行こう!と出発したものの、場所が分からずにうろうろした挙句にその辺の焼肉屋で焼き肉を食べてただ帰ってきたことがあった。それから十数年して、後に夫となる人に案内されて、当時たどり着けなかった二十間道路を初めて訪れたのだが、二十間道路の入口に立って、真っ直ぐに伸びる道路と高く広がる晩夏の青空を見上げたその時、私は確かに静内のゲニウスロキの声を聞いたように思ったのだ。その雄大さと人の営為のものすごさに魅せられた、というか。で、縁あって静内へ嫁に来た、というわけである(ってどういうわけだ)。
そんなこんなで、この1ヶ月、20歳頃の記憶のフラッシュバックブームだった。あの頃のあの人たちは、本当に素敵だった。面白かった。私も大いに影響されたと思う。
で、渡辺さんである。過去の一時期に知遇を得た人が、懸命に頑張っている。そしてこんなに素晴らしい本を書いた。もう本当にすごいことだと思う。前著から8年以上、「この本一冊のために、一度もさわやかな朝食を口にしなかった」と後書きにある。また、執筆中にお母様を亡くされた、とも。その道程を思うと、胸がつまる。
「この本がどのような意味をもつ本なのか、本当のところ、私自身にもよくわかってはいない。しきりに妙なものを書いたという感慨にとらえられる」ともある。
妙なものじゃないですよ! 著者が渡辺さんでなくてもすごい本だし、渡辺さんが書いたと知って、さらにこれは私にとって特別な本になりました。S木さんも、「最初の10ページでがっつりハートをわしづかみされましたわ」と言ってましたよ(無断転載平に容赦)!
私は、この文章を渡辺さんに向けて書いた。私が誰だか分からないかもしれないし、読んでもらえる確率は低いし、家事と育児の切れ間に途切れ途切れに書いたから支離滅裂な文章で文体も滅茶苦茶でひたすら申し訳ないのだが、ただただ私は渡辺さんにエールを送りたい。
一つ思い出したことがある。20数年前、渡辺さんは当時学祭の実行委員をしていて、ゲストに沢木耕太郎を呼んだとのこと。その送迎のタクシーの中で、沢木氏に当時作っていたキャンパス雑誌を渡した、と嬉しそうに言っていた横顔が懐かしい。
私も、本書を片手に、これから北海道を知る旅に出ようと思う。
Ciao!! 渡辺さん! すごい本をありがとう。
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コメント
静内人さん、はじめまして。渡辺さんを検索しててたどりつきました。1970年生まれで渡辺さんと知り合い、ってことは、私とも知り合い?と思い、プロフィールのお顔をじっくり拝見しましたが、おそらく当時接点はなかった方とお見受けしました(私の記憶力はあてになりませんが…)。
私も「北の無人駅から」を読んで、懐かしさを感じました。道民の魂をゆさぶる本ですよね。親から聞いた昔話、それを聞いていた幼い自分、そして大人になった自分の中に流れる開拓者の血をありありと感じるような本でした。そして、「癒し」も感じるような本でした。
静内人さんのように的確には書けませんでしたが、渡辺さんに感動したとメールしました。静内人さんもぜひメールしてあげてください。渡辺さんの苦労も報われるでしょう。
投稿: はいほわー | 2012年2月23日 (木) 20:36
はいほわーさん、素敵なメッセージありがとうございます。渡辺さんの本はかなり強烈で、まだ余韻がありまして、もっと北海道が知りたい!ってことで引き続き北海道本ブーム続いています。
私、1969年生まれの42歳です。まだ子ども小っちゃいんですけども・・・
もしかして渡辺さんのサークルで一緒だったとか・・・? 私も最近とみに記憶力が怪しくて、すみません。私は卒業以来渡辺さんと全く接点がないので、連絡のしようがないのですが、まあいいかと。渡辺さんの本を読んだ感動を、はいほわーさんと共有できて嬉しいです
ありがとうございました!
投稿: 静内人 | 2012年2月24日 (金) 11:32
静内人さん、こんばんは。
私は1970年2月生まれなので、学年は一緒でしょうか。ちなみに私もまだ4歳児を育児中です。先は長いですね
渡辺さんとは学部で一緒でした。当時そんなに親しくしていたわけでもなく、卒業後もまったく接点はありませんでしたが、「夜バナ」のときに本に載ってたアドレスにメールしたら覚えててくれたみたいです。
今回もあまりの感動に長々としたメールを送ったので、うざがられてるかも…と思いつつ、まあ雄冬のおばあさん達に鍛えられただろうから、多少のなれなれしさは「はいほわーさんもおばさんになったなあ」くらいで許してね、と勝手に思っています。
それと、やはりものを書く人にとっては、読み手に伝わったかどうかが一番知りたいことだと思うので。
渡辺さんの筆致は愛がありますよね。人に対するまなざしが優しいというか。
私も静内人さんと、この感動を共有できてうれしかったです。お返事ありがとうございました。
投稿: はいほわー | 2012年2月24日 (金) 22:24
再びはいほわーさん、ありがとうございます。私も1969年8月生まれなので学年は一緒です! でも私は渡辺さんとはサークルで一緒だっただけなので、やはりはいほわーさんとは接点はないみたいですね。
はいほわーさんも小さいお子さんの育児中ということで、勝手にすごい親近感を感じています
高齢母さんの会でも結成したいくらい(失礼)! いろいろきついときもおありかと存じますが、頑張ってください
応援しています
よろしければまた見に来てください
投稿: 静内人 | 2012年2月25日 (土) 16:44