ゴムまりスミスの秘密
昨日、健悟のオムツを替えていたら、
義母が見に来て一言。
「チンチン黒い」
懊悩!
どこかで聞いたセリフだと思ったら・・・
高校時代に友達に見せてもらった雑誌「宝島」に載っていた4コマ漫画の中の一コマなのでした。なんて懐かしい。まさか二十年以上を経てここで蘇るとは。
うちの赤ちゃんは、ゴムまりスミスだったのです。
びょーん、びょーん、と飛び跳ねてどこかへ行ってしまうのでしょうか。
まだしばらくは一緒にいてね。
・・・その漫画を知らない人には一体何のことか分からない話で、どうもすみません。
asakya氏、覚えているでしょうか。
私、「ゴムまりスミスの秘密」、衝撃的に面白かったんです。
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ところで、ワタクシ他に比較材料を持たないものですから、健悟のチンチンが黒いか否か、判断がつきかねるのですが、一般に新生児のチンチンとは黒いものなのでしょうか。さすがに写真を載せる訳にも行かず。また、大きくなるにつれて白く?なるのでしょうか。別に黒くても白くても、健康ならば気にしないんですが、面白いんで、何かご存知の方いらっしゃいましたらコメントください。私としては、肥大化したタマタマ袋の方が、ウンチのたびに拭きにくくて気になります。早く縮んでくれないものか。それとも、縮まないものなのか、こちらもご存知の方、コメントをお願いします。
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さて、36歳で結婚して以来、立て続けに2人を高齢出産して下半身がゆるゆるの私は、四十路を目前にして将来の尿漏れ等を予防しかつ昔の小尻を取り戻すべく、トコちゃんベルトで骨盤を引き締め、さらに授乳中の尻穴引き締め体操(骨盤底筋を鍛える)にも余念がありません。幸い二人とも安産で母子共に健康でしたが、やはり高齢出産のツケ?は、産後の体に来ました。若いと、こういうのは屁でもないんでしょうね。何だかとにかく表現が下品ですね。肉体的に失われたものも大きいですが、精神的に羞恥心も失われつつあるのは気をつけたいと思います。
産後という時期は、文字通り身重から身軽になって、嬉しい時期です。特に私の場合、第二子妊娠が重くてつらかったので、長い間ぼよ~んとした小錦の気分で何も発展的なことは考えられなかったのですが、お腹が軽くなったら、内側からいろいろと言いたいこと、考えたいこと等、エネルギーが湧いてきました。不思議です。
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私も少し前の記事で書きましたが、出産って命の危険と隣り合わせの恐ろしく痛い大仕事ですし、それに引き続く育児は、これまた昼夜を問わず手間のかかる無制限一本勝負のようなものです。正直言って、そういう大変さをリアルに事前に知っていたら、自分でも出産・育児という大仕事に踏み切ったかどうか自信がないくらいなのですが、それでもやっぱり、もしどうしようか迷っている人がいたら、それはやってみた方がいい、と言うだろうな、と思います。
なぜなら、人生一度きりだから、やらないで後悔するよりやって後悔した方がいいという私の人生哲学によるところもあるのですが(特に出産の場合、女性は年齢による肉体的制限があるので、後で産むということがほぼ不可能なため、now-or-never ageになって迷っているのならば産むべきだと思ってしまう)、そういう消極的理由とは別に、もう少し積極的理由が2つほどあります。
まず一つ目は、
① 自分がかつて赤ちゃん=「絶対的弱者」だったと知ることによるメリットがあるのでは?
・・・赤ちゃんを持つことで、自分もかつて絶対的弱者だったと知ること。このメリットが自分に与える影響って、計り知れないものがあるんじゃないかと。
赤ちゃんって、本当に弱々しくて無力で、自分では栄養摂取も排泄処理もできないので、絶対的に他者の世話を必要とする、まさに「絶対的弱者」です。お世話しないと死んでしまいます。特に人間の赤ちゃんは、肉体的完成よりも3ヶ月早く産まれて来るそうで、大体首が座る3ヶ月目くらいまでは首はグラグラ、体も割とクタクタしていて一人目は特に扱いもおっかなびっくりで、大丈夫かこれ、という感じです。
で、「自分が世話しないと死んでしまう」という絶対的弱者を目の前にして、「ああ、かつて自分も赤ちゃんだったんだなあ」ということが、実感として体で分かる瞬間が私の場合あって、それは何だかすごく新鮮な感じでした。今の私はかつての親であり、今私が抱いている赤ちゃんがかつての私であった、というデジャヴにも似た不思議な感じ。授乳で夜も昼も寝ていなかったりすると、寝不足でもう頭おかしくなってますから、この感動はさらに増幅されて、「ああ、自分もかつてこうやってケアされてたんだなあ、親は大変だったなあ~(泣)」と何だか歴史に結合された感じというか、命の連鎖をひしひしと感じるわけです。(他の人がどうかは知りませんが・・・)
なんか、とにかく少なくともその瞬間って、すごく真摯で誠実になるわけです。
自分一人で大きくなったような気になっていたのが、自分が赤ちゃんをケアする立場になってみて、全然そうじゃなかったということが、もんのすごく分かるわけです。私の場合、特におバカさんなので、そういうことを子ども産んで初めてリアルに体感したわけです。頭で分かるのと体で分かるのと、これ全然違うんですよね。
で、それに関連して先日読んだ本(『若者のための政治マニュアル』山口二郎著、講談社現代新書、2008)の中で引用されていた内田樹氏のブログが印象的だったので、孫引きですが・・・
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前にも書いたことだけれど、当代の「格差社会論」の基調は「努力に見合う成果」を要求するものである。
これは一見すると合理的な主張である。
けれども、「自分の努力と能力にふさわしい報酬を遅滞なく獲得すること」が100%正義であると主張する人々は、それと同時に「自分よりも努力もしていないし能力も劣る人間は、その怠慢と無能力にふさわしい社会的低位に格付けされるべきである」ということにも同意署名している。
おそらく、彼らは「勝ったものが獲得し、負けたものが失う」ことが「フェアネス」だと思っているのだろう。
しかし、それはあまりにも幼く視野狭窄的な考え方である。
人間社会というのは実際には「そういうふう」にはできていないからである。
何度も申し上げていることであるが、集団は「オーバーアチーブする人間」が「アンダーアチーブする人間」を支援し扶助することで成立している。
これを「ノブレス・オブリージュ」などと言ってしまうと話が簡単になってしまうが、もっと複雑なのである。
「オーバーアチーブする人間」が「アンダーアチーブする人間」を支援するのは、慈善が強者・富者の義務だからではない。
それが「自分自身」だからである。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」というのは『マタイ伝』22章39節の有名な聖句である。
それは「あなたの隣人」は「あなた自身」だからである。
私たちは誰であれかつて幼児であり、いずれ老人となる。いつかは病を患い、傷つき、高い確率で身体や精神に障害を負う。
そのような状態の人間は「アンダーアチーブする人間」であるから、それにふさわしい社会的低位に格付けされねばならず、彼らがかりにその努力や能力にふさわしからぬ過剰な資源配分を受けていたら、それを剥奪して、オーバーアチーブしている人間に傾斜配分すべきであり、それこそが「フェアネス」だという考え方をするということは、自分がアンダーアチーブメントの状態になる可能性を(つまり自分がかつて他者の支援なしには栄養をとることもできなかった幼児であった事実を、いずれ他者の介護なしには身動きもできなくなる老人になる可能性を)「勘定に入れ忘れている」からできるのである。
(内田樹「モラル・ハザードの構造」、http://blog.tatsuru.com/2008/01/19_0927.php)
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子どもを持って育児を経験するなどして「かつて自分も絶対的弱者だった」ということを体感すること、または親の介護等を経験することによって「いずれ自分もそうなる」ということを体感すること。これって、「公正」ということを考える上で非常に大事なことなんじゃないかと思うわけです。頭では分かっていてもこれが体感できていなければ、その人の考える「公正」は、内田氏の言うとおり、当代の「格差社会論」の域にとどまってしまう気がします。
小泉・竹中両氏言うところの「頑張った人が報われる社会を」というキャッチフレーズは、分かりやすくてつい「その通り!」と言いたくなってしまいます。けど、「頑張った人が報われる」ということは、「今までは報われてなかった」ということなんでしょうか。
また、「頑張った人が報われる」ってことは、「その人にもっと多く配分しろ」ということであり、富のパイが限られている社会では、それは必然的に他の人の分を削って、その「頑張ったという人」に多く配分するということになります。ということは、「頑張っていない人のパイは少なくてよい・削ってよい」ということになります。要するに、内田氏言うところの『「自分よりも努力もしていないし能力も劣る人間は、その怠慢と無能力にふさわしい社会的低位に格付けされるべきである」ということにも同意署名している』ということだと思います。
けど、それって何かこう、気持ち悪くないか・・・? 特に、「自分はその能力に比して報われていない」と自分で主張するのって、恥ずかしくないか・・・? 「オレってこんなに頑張ってるのに、どうしてもっと評価されないんだ?」って自分で言うのって、どう?
要はその度合い(=課税率などの政策)なんでしょうけど、それより私は、今の世の中で「自分は自分の努力と能力に比して報われていない」と思っている人が増えた、ということに気持ち悪さを感じています。
そんなもんなあ、報われないのが普通なんだよ!!
報われて当然と思う方が気持ち悪いんだよ!!
世の中そういうもんなんだよ!
親にそう教わらんかったか、アホんだら!
・・・と思うのですが、いかがでしょうか。
あ、そういうことじゃないか。問題は、そういう人間が政策決定の現場に増えてきた、ということなんですよね。
まー、小沢さんは日本のオバマたるにはちょっと老けてますけど、他にいないんだし、小沢さんの心臓が止まる前に一度小沢さんを首相にしてみたい、と思います。
あら、話がどんどん別の方へ。無理矢理戻します。
子どもを持つことが良いことと思う理由。その二つ目は・・・
② 弱点を持つことは魅力的
・・・ということです。
特に男性諸氏。
赤ちゃんのいる生活って、自分のペース乱されまくりです。
まあ男女問わず、自分の好きなときに好きなことをすることに慣れている人。自分の時間というものが小さい時から当然のようにある人は、赤ちゃんの世話をすることによって、自分の時間がほぼ剥奪されると言っても過言では有りません。はっきり言って、イライラです。
が、そんな中にも、「げ! かわいい!」と思う瞬間があります。
母親汁の分泌が少ないことで有名な私ですら、おっぱいをやった後に赤ちゃんを胸元で縦抱っこしてげっぷを出させるのにゆ~らゆらしてたりすると、可愛くてすりすりして涙ぐんでしまったりすることがあります。この絶対的弱者という存在って、他者のお世話欲を刺激するというか、「んもう~、仕方ないんだからぁ」的な感情を引き出すようです。ワイルド育児で有名な私が言うんですから、間違い有りません。
男性の場合、女性と違って「産んでない」ので、割と肉体的繋がりは薄いかもしれないんですが、それでもやっぱり普段はパリッとしてる人でも、「パパでちゅよ~」(気持悪)的反応は誰でもあると思います。
なんていうかなー、赤ちゃんって壊れ物っぽいので(本当はすごく丈夫)、扱いに技術を要するというか、やさし~く扱ってあげる必要があるんで、普段仕事のできる合理的仕事人でも、オロオロな状況にならざるを得ない。普段は合理性・効率性の支配する職場等で生きている大人も、一旦赤ちゃんに直面すると、その非合理性・非効率性の奴隷にならざるを得ない。まるっきり普段の生活とは真逆の世界です。
で、それがまた面白い。
両方体験して初めて全体を俯瞰できる、とでも言うんでしょうか。
そういうメリットってあるんじゃないかと。
で、それからさらに進んで、普段はパキパキとした合理的な仕事人なのに、意外に子ども扱いが上手だったりすると、私なんか結構メロメロになってしまうわけです。パリッとポール・スミスのスーツなんかを着こなしてブリーフケースを持って、赤ちゃんを前抱っこして出勤前に保育園へ向かうお父さん・・・、なんてセクシー!とか思っちゃうわけです。
・・・すみません。合理性と非合理性のギャップにエロスを感じてしまう個人的趣味が炸裂しました。
いや、なんかね、ベタベタと粘着質でない程度に、「実は、ムスメがね・・・」なんていうオッサン、私大好きなんですよ。普段はパリッとしているのに、ムスメには若干弱いんだよね~~なんつうのが。個人的趣味ですけど。なんか、カッコイイと思うわけです。
子どもって、親にとって絶対的弱点だと思うんです。それは甘やかすということと同義ではなくて、愛情の対象という意味で、子どもって絶対的存在だと思うんです。私の場合、それは「私」という軽い存在に耐えるための一種の重石です。それがないと、おそらく私は「私」という存在の軽さに耐えられなくて、また命の連鎖を感じることができなくて、自殺というまやかしの自己決定権を行使してしまうという恐怖が実はありました。いや、実際は怖くてできないんですけど、もし一人だったら・・・と思うと今でも結構怖いです。
いえ、かと言って、子どもが自分の所有物だという感じは毛頭ないんですけどね。なんだかものすごく「借り物」っぽいです。成人して巣立っていくまで、仮に私たち夫婦が預かって育てている、的な感じです。その意味では、子どもと言えど、すごい他人な感じです。
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ありゃー、晴香は預かってもらってるんですが、昼寝中の健悟が思いっきり寝グソをしてました。まだ寝てますけど、いずれ泣いて起きてくる。
いや、最近は不況だ何だと、とにかく少子化が言われています。少子化=子どもを持たない人が増えているということは、自分が絶対的弱者だったことを体感できない人が増えているということ、もう一つ、子供という壊れやすい存在を扱うという経験の不足した人が増えているということ。みんながみんなそうではありませんが、これらの経験の欠如は、他者を思いやるという技術の欠如につながっているのでは、と個人的に思います。
給料が安いということは、経済的に家族をもてないということに繋がります。持ちたくないという選択をしている人に無理強いすることはありませんが、持ちたいのに持てない、というのは一種の政治の貧困です。今の状態はまさにそれで、放置しておくとこれは社会全体の危機に繋がると私は思っています。あなたの不幸は、私の平和を脅かす・・・ってILOかなんかの文言だったように思いますが、仕事って大事ですよね。
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うーん、今日も書き散らしたままで推敲もせずアップします。
支離滅裂で失礼!
それでは。
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コメント
ゴムまりスミス!なつかしい!
20年以上経ってるのに未だに忘れられない。
…なんでかな。
他の方はわかんないですよね。
ぴょんぴょん跳ねる元気なヤツなんです。
「ゴムまりスミスの秘密」とは…
雑誌「宝島」のVOWコーナーのはじっこに載っていた
しりあがり寿・作の4コママンガのタイトルです。
VOW単行本の古いのに収録されてるかもしれません。
もう一回読みたいです。
投稿: asakya | 2009年1月30日 (金) 20:41
コメントありがとう!
「ゴムまりスミスの秘密」の記憶を共有できる方のコメントを待ってました。
あれ、しりあがり寿・作だったのですか。
絵が似てるなあ、と思っていたら。本人だもん、当たり前だ。
4コマ目の「あいつのちんちん黒い」というセリフ、どうも忘れられません。
生後1ヶ月がたちましたが、うちのゴムまりスミスのちんちんは、まだ黒いと思います。ずっとこうなんじゃないかな。私が思うに、黒いというほどではないのですが。。。 この微妙な感じ、写真が掲載できないのが残念です。
投稿: 静内人 | 2009年1月31日 (土) 14:51