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2006年11月14日 (火)

勝ち組

先週土曜日の道新に、こんな新刊広告がありました。

Dsc01778



また、近くの本屋さんで目にしたのですが、
雑誌「ファミリー」12月号(プレジデント社)の今月の特集は、こんな感じです。

<特集>
広がる格差教育に負けるな
わが子が輝く学校選び
発表!「東大・京大」に入りやすい都道府県ランキング


秀才9人のお宅に訪問!
頭のいい子の勉強部屋
賢い子供が望んでいる もっと勉強が楽しくなる 僕と私の「理想の家」




ぶっちゃけた話、みんな知りたいのは、やっぱりそれですよ。
格差社会がいけないの、いじめがいけないのってね、あーた、
格差もいじめもこの世からなくなるなんてこたぁ所詮ないんだから、
大事なのはね、勝ち抜くことなんですよ。

力を付けて、とにかく負け組にならんことですよ。
生きてくためにはね、まず勝たなきゃだめなんだよ。
じゃないと食ってけないんだから。

親が子どもに望むことって言ったら、ぶっちゃけた話、やっぱそれだぁね。
キレイゴト言ったってダメだよ。
昔も今も、結局は弱肉強食なんだからさぁ。
人間なんだかんだ言ったって、やっぱホンネはそこだよね。




…という人がいても全然不思議じゃないし、
その気持ちもすごくよく分かる。
受験エリートがビジネスエリートになるのもよく分かる。
東大・京大が質の高い教育を提供してくれるのもよく分かる。

だが。

それにしても、そんなあまりに大っぴらに、何の恥ずかしげもなく、
ばーんと露骨に堂々と胸張って打ち出されると、
寒々しいものがある。



「格差社会」という構造を所与の前提として、
その中で勝ち抜くことを目指す。
それも確かに現実問題として必要だし、大事なことだと思います。

しかし、その先に/それと同時に/それとは別に、
「格差社会」という構造そのものを丸ごと懐疑的に
考察・疑問視する視点を併せ持つことも必要だと思います。

両者は確かに矛盾しているかもしれません。
しかし、この矛盾に引き裂かれつつ耐えている、という状態じゃないと、
何かひどく教養とバランスを欠いた下品な人間が出来上がりそうな気がします。

前者だけの人は、エリートとは呼ばないと思います。
後者も合わせて初めてエリートと言えるのではないでしょうか。

そういう意味で、キレイゴトって必要だと思います。



つか、その前に「格差社会」の定義が必要でしょうか。
竹中平蔵氏の言う「格差社会」と、
橘木俊詔氏の言う「格差社会」とは
全然違う意味でしょうから。

「能力や努力の差による結果としての格差社会は仕方がない」
とかいう時の「格差社会」と、
「格差社会の背後には3万人の自殺者が」
とか言う時の「格差社会」とは
全然別の意味だと思いますので。

議論が噛み合わない理由は、この辺にあるのではないかと。



いや実は正直、冒頭の広告を見たときに、
あんたそんなに頭がイイんだったら、
格差社会を勝ち抜く方法なんてものよりも、
格差社会そのものを問う、っつーのが
ノブレス・オブリージュってぇもんじゃあないの?

しゃらくせえ! やっちまえ!
と抜刀しそうになりました。

まあその私の怒り自体が理不尽で
和田氏がどんな内容の本を書こうと自由ですし
そもそも私は全然この本のターゲットではないんですけれども。

あんまり挑戦的な物言いなので、
つい反応しなくてもいい私が時代劇風に反応してしまいました。



昔から三笠書房とかサンマーク出版とか、
この手のハウツー本を得意とする出版社は数多ありましたし、
読者もそこそこいたとは思いますが、
書店での扱い方とか、広告の打ち方とかに
もう少し「照れ」とか「遠慮」があったように思います。

別に「金儲けが悪い」とかしたり顔で言うつもりはありませんが、
大人がこのようにえげつなく露骨なホンネを前面に語り、
キレイゴトに対して斜に構える方がどこかカッコイイと思われる世の中というのは、どんな風になっていくのかなー、と。



  ○○はなくならない

この言の○○には、いじめ、格差、売春、犯罪、戦争、などなど
人間社会のネガティブな事柄なら何でも入ります。

このように言う人は、
何か自分が深遠な真実を語っているかのような錯覚に陥って、
ときにこれらを無くそう/減らそうと努力する人々に対して
自分が優越的地位に立っていると誤解する向きもあるようですが、

実はこれ以上に無責任で非・知的な態度はないと思います。
こうやって言ってしまうことが、実は一番カンタンなんですから。



教養の軽視と、エリートの反逆

ますます広く深く、そして可視化してきた気がします。

手っ取り早く、勝ちさえすりゃあいいんだよ。
まどろっこしいのは抜きね。
そんなことしてたら負けちゃうんだから。
負けちゃあ意味がないからさ。

と。



関係ありませんが、今週こんな本を買ってしまいました@セイコーマート。

Dsc01770

一冊まるごと新庄剛志(広告も)。

「勝負パンツはない。
毎日が勝負、ですから」

(GUNZE広告出演に際しての05年01月の記者会見にて)

…だそうです。

そんなに熱狂的ファン!ではないんですけれども、
札幌PARCOのポスターに出た時は、真面目に盗んでこようかと思ったものです。

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コメント

昔、東大の先生が「受験エリートは大学に入る時点で伸びきってしまっているから、大学に入ってからはあまり期待できない」という趣旨の話をしていました。伸びきってでもいいから、とにかく有名大学から有名大企業へという理想コースにのってしまえば良いという考えがはびこっているのでしょう。しかし、社会はそんなに甘くはないとか。東大出ても、実力だけの職場では、地方の無名大学出の上司にこき使われるのが現実のようです。中には学歴尊重の会社もあるのでしょうけれど。前回の拓銀の話ですが、確か北海道拓殖銀行という名前だったとおもいますが、倒産して9年になるのですか。拓銀をつぶしてみたら、あまりにも北海道経済がダメになってしまったので、国はその後はどんな銀行も倒産だけはさせないようにしたのでした。違いましたでしょうか。

投稿: ヒマジン | 2006年11月14日 (火) 20:12

もしかしてブログでは誤解を招いたかもしれませんが、私はやはり学を修めるならば東大・京大その他旧帝大および有名私大がいいと思っています。

なぜなら、そこでは本物の知を学べる確率が高いからです。教授陣や資料などの人的・物的な知的財産の質も高いし、蓄積も厚い。身に着けた知識はその人の一生の知的財産になりますし、人生の精神的栄養にもなる。何より楽しいですからね。

また、私が知っている東大出身の方々は、学問的にはもちろんのこと、人間的にも尊敬できる大変魅力的な方が多いです。決して「勉強ができるだけのもやしっ子受験エリート」ではありません。本当の意味で「優秀」な人たちが多いんだなあ、と思います。ホンマモンのエリート、と言いますか。

有名大出の方で、もやしっ子的な変な人って実はあんまり会ったことありません。私の狭い経験ですが、それ以外の人たちの方が、変な人は多い気がします。

そういう意味で、やっぱり学歴というのは、人間を判断する上での有効な物差しの一つであり得る、と私は思っています。

私を含めた庶民は、とかく「東大出ても実力がなきゃあねえ」と言って何か溜飲を下げた気になることがありますが、実際有名大へ行くには知力体力を含めた総合的な実力が必要なんでしょうから、大体において有名大出=優秀という図式は間違いではないのだと思います(東大法学部出などを鼻にかけて他を見下すような人は論外ですが)。

ブログの記事と矛盾しているように思えるかもしれませんが、有名大がいいと思うのは私も同じです。ただ、有名大へ行くことそれ自体が目的だったり、勝ち組になることが目的だったりする人は、真のエリートとは言わないんじゃないかな、と思うだけなのでした。ニセモノが無理して行くところじゃない、というか。

投稿: 静内人 | 2006年11月15日 (水) 17:46

はじめまして。
共感できる部分が多くあります。

言葉の定義という意味では、
「格差社会」が噛み合っていない背後に、
「平等」についての把握の不一致があるように思われます。
「機会の平等」と「結果の平等」が
明確に分けられていなかったりしますよね。


>教養の軽視と、エリートの反逆。
これは興味深い指摘ですね。

しかし思うに、こういうのはループなのかもしれませんね。
一昔前なら、物語は必ず「めでたしめでたし」で終わり、
スポーツドラマなら、最後に主人公チームの勝利で終わった。
正義が必ず悪を倒して終わるのが世の常であった。
それに対し、「うそくさくね?」って言い出した人がいて、
「きれいごと言ってんじゃねーよ」ってゆうのが
カッコイイとされる時代が来ているのでしょうが、
やがてこの反動で元に戻ったりするんじゃないかと思います。
文章がわかりづらかったらすいません・・・。

トラックバックさせていただきました。

投稿: AKSK (札幌だけの家庭教師「考動力研究会」) | 2006年11月17日 (金) 02:59

知的なコメント有難うございます。「平等」についてのご指摘は本当にその通りだと思います。

『大衆の反逆』(オルテガ)というのもありましたが、これにエリートの反逆が加わると最強です。

反動で元に…はもう戻らないんじゃないかと私は思っています。一度見た物事のウラは、知らなかったことにはできない。もはや不可逆かと。ただ、このシラケた時代を乗り越えて「次」があるとは思います。

思うに、記事冒頭に紹介した和田氏の本や、プレジデント社の本を読むような方というのは、ぶっちゃけた話、その時点で非エリートではないかと。ホンモノはそんな本読まない(読む必要がない)のでは…。ものすごい差別的発言かもしれませんが失礼。

投稿: 静内人 | 2006年11月17日 (金) 15:47

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『プレジデントFamily』の12月号に、 「東大・京大に入りやすい都道府県ランキング」 という記事が載っていた。 各都道府県の高校の卒業生を分母とし、 東大・京大の合格者数を分子として比較したものである。 これに... [続きを読む]

受信: 2006年11月17日 (金) 02:56

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